安定させるための「yoga」

「yoga」の解釈はいろいろ

2018年も半分終わりますね。

今年の初詣では 家の鍵を落とし、
「大丈夫、絶対に出てくる」と自分に言い聞かせていましたが、今なお警察から「届きました」という連絡はありません。

一昨年の初詣では駐車券を落としたわたし。
毎年お正月には何かを落とす、と報告した友だちには、「おっちょこちょい子さん」という異名をつけて頂きました(響きが昭和…)

長年「おっちょこちょい子さん」として生きてきたわたしが 急に変わるわけもなく、今もなお 生徒さんに、レッスンの日付と曜日を伝え間違えるという「おっちょこちょい子さん」ぶりを発揮して、困惑させています(おい)

こんにちは、okuです。
なんとかなっているのは、ひとえに周りの方々のご協力のお陰です。
皆さま、2018年 後半もよろしくお願い致しまーす(←軽い)

 

不安定な自分を観察する

ヨガのポーズは、不安定なものが多くあります。

「できるかな」と言われて、「はてはてふむ」と言いながらも出来ちゃうのはノッポさんですが(あ、ご存知ない方は軽くスルーして頂ければ…)、

ヨガでは「チャレンジポーズ」と言われても、自分の筋肉や柔軟性が伴わない場合は、出来ないことがあります。

自慢じゃないですけど、わたしにもたくさんあります。ええ。それでも インストラクターやってますけれども。ええ(泣)

「ヨガはポーズをすることが完成ではない。やるかやらないか、その過程こそがヨガ」

と話している方がいました。
まるでわたしのための言葉ですね。にっこり。(笑ってる場合じゃない)

出来ないということは、「チャレンジできる“のりしろ”がある」ということです。

やることをやめなければ、
やると決めて続ければ、

「あれ、出来た!」という日がいきなりきます。

不安定なものを安定させることができるのも「ヨガ」です。

とりまく環境に奪われる呼吸。
緊張にさらされる身体。
試されるように起こる、望まない出来事。

それらへの感情を制御し、安定させていく過程こそがヨガ。

その環境から一歩引いて深く呼吸してみる。
吐く呼吸を長くして、副交感神経を優位にしてみる。
「まぁいいや」と手放し、自分でなんとかしようとしない。

毎日毎日 バカみたいにそれらを繰り返すことで、少しずつ自分が変わります。

変わるために毎日やってみる。
それも、楽しいです :)

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「私はセイレーンです。あ、おっちょこちょい子さんが言うことですから、怪しいですけどね。『サイレン』とも呼ばれますけど、ピーポーとか言わないです。歌はめっちゃ上手いんですけどね。お見知りおきをー」