言葉が降ってきた体験を残しておこうと思います。

リラックスしているときに、それは起きました。

 

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下にある画像がひどいので、サムネイル対策として北海道神宮をお届けしております。

 

毎度おなじみ(?)
朝マックでのできごと。


混んでいるエリアを避けて、
トイレの真ん前の席で、できたてのソーセージマフィンとコーヒーを頂いていたら、


太ったおじさんが、裏口から入ってきて
男子トイレに直行しました。


少し経って、店内から 若いお兄さんがトイレに来たのですが、
太ったおじさんがなかなか出てきません(トイレは男女一つずつ)。


5分ほど経ったでしょうか。
若いお兄さんは、もう耐えきれなくなったのか、


意を決したように、女子トイレに入りました


しばらくして、どちらの男性もスッキリした顔で トイレから出てきたんですけど、


その太ったおじさん、太りすぎていて、
ドアを全開にしないと 出入りできないため、


全開にしたまま、また裏口から出て行ったので、わたしが閉めました。←どうでもいい


こんにちは、okuです。


わたしはいつも、ブログのネタになりそうなことがあると、
携帯のメモに打ち込みます。


今回も、この話をもう少し掘り下げて書こうと思っていたのですが、


それよりも、わたしのメモがヒドいんです。見ます?←


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<訳> 女子トイレに男性が入って行ったときの驚き!男子トイレには、既に太ったおじさんが入っていた。



なぜか中途半端なカタカナ英語と、超ストレートな表現


しかも、後半でいきなりネイティブになるっていう(マン→メン)


人って、気を抜いたときに
その人の品格が表れるっていうから、気をつけて!(白目)

 

 

わたしはもう、不幸にはなれません。笑


話は180°変わりまして。


わたしたちは残念ながら、
幸せしかないと「幸せ」を感じることができません。


悲しい出来事があったり、
苦しいことがあるからこそ、


幸せを「幸せ」と認識することができます。


わたしが旦那さんを亡くしてから思い出すのは、
本当にどうでもいいような、
普通すぎる日常です。


でも、そんな普通すぎる日常の中に、
とてつもない幸せを見ることができます。


そう、失った 今になって。


瞑想をしていると、
もう忘れていると思い込んでいた、
「旦那さんとの平凡な日のひとコマ」がフラッシュバックすることがあります。


そして、そんなとき、
ちゃんと覚えている自分に安堵するとともに、


瞑想状態になっていない自分に、苦笑するのです。


わたしが最初に書いた「幸せ」というのは、
幸せな事象」です。


本当の幸せというのは、わたしたち誰しもが ちゃんと持っていて、
環境に左右されるものではありません


このことが肚に落ちたのは、
旦那さんが亡くなって少ししたときのこと。


椅子に座って、ぼーっとしていたときに、
「人は不幸になれない」
という言葉が降ってきました。


まさに、「降ってきた」感じだったのですが、
言葉が降ってくる(?)って初めての経験で、


思考が追いつかずに「え?どういうこと?」と、
しばらく動けずに固まりました。


徐々に、
「人は最初から幸せで、それは環境で揺らぐものではない」
ということが肚に落ちてきました。
肚に「落ちた」というよりは、「落とされた」感じでしたが。


その後、
「自分自身の内側には、光り輝く本当の自分が居る」
というヨガ哲学を教わることになりました。


わたしたち一人一人の内側に、至高の幸せがあります。


生きている限り、わたしたちが不幸になることはありません。


「不幸な事象」は起こりますが、不幸になることはありません。


言葉遊びのようですが、
「外的な理由で、わたしたちの幸せが揺らぐことはない」と、


わたしは信じています。


週のはじめから、話の落差がひどいですね(遠い目)
どうぞ 穏やかな一日を♡


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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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