いちばんココロに沁みた「お疲れ様でした」

言葉って、重すぎず軽すぎずがいい。

 

わたしがまだ小さかった頃、
テレビで放映されていた「犬神家の一族」を観て、


スケキヨの顔が脳裏に焼きついて 夜寝られなくなってからというもの、
ホラー系は一切受け付けません。


そんなわたしも 身近な人を看取って、
「これでわたしには怖いものなどないわ」
と思いながら 実家に戻ってきました。


しかし、洗面所であるものを見て以来、
怖くて直視できないものがあります。


こんにちは、okuです。


あの…水に浮かんだ入れ歯って、怖くないですか?
今にも、歯だけで動き出しそうに見えるんですけど(やめて)


わが家、父も母も部分入れ歯です。


身障者の父の入れ歯は、
母やポリ・デントさん(人の名前風にしてみました)とかが洗ってくれるんですけど、その水に浸かった入れ歯がなんだか怖いのです。


半年に一度、父が脳神経外科でMRIを撮る際に、
外した部分入れ歯を わたしが預かるんですけど、


外れた入れ歯を見て、
ひゃぁぁぁぁ。歯ぐきと歯が並んでて怖いぃぃ」ってなるのを、どうにかしたいです(白目)

 

 

思ってることって、出ちゃう。

 

旦那さんが亡くなるまで、わたしは
「家族の喪失」を経験したことがありませんでした。


家族がいる安心感が大き過ぎて、
家族を喪失した人の悲しみがどんなものなのかが 絶対的にわからないという、


劣等感にも似たものを、感じていました。


旦那さんが亡くなってから ものすごい悲しみとともに、


「これからは、喪失を経験した人に寄り添うことができる」という、
変な安堵感がありました。


喪失を経験していないと、人に寄り添えないという話ではありません。


実際、旦那さんを亡くした後、
わたしを支え続けてくれたのは、
家族が元気な友人たちでした。


ただ たまに、
パートナーシップが上手くいっていない方が、
「ひとりって羨ましいわ」「これで独身だね」と仰って、
違和感を感じることもあったので、


「わたしは、それを言わないようにしよう」
と思ったのですが、


「じゃぁ、わたしなら、なんて声を掛けるんだろう?」
と考えたときに、


かける言葉が思いつかなくて、
「ただ寄り添うだけかもしれない」とか
思ったりしていました。


そんなとき、
友だちに誘われて、インドの北部にあるリシケシに行ってきました。


リシケシはヒンドゥー教の聖地。
ヒンドゥー教では、「人は輪廻転生する」と説いています。


リシケシで日本食レストランを経営している女性と、友だちとの3人でご飯を食べに行ったとき、


わたしが自己紹介的に「旦那は亡くなって」と言ったときに、


その女性がかけてくれた「お疲れ様でした」という言葉が、
わたしには ものすごくしっくりきたのです。



「可哀想」という同情でもなく、
ましてや 軽んじて言っているわけでもない。


その土地にちゃんと足をつけて生きている人の「お疲れ様でした」は、
「結婚生活の勉強、お疲れ様でした。また逢えるよ」って言ってくれたようで、


わたしの心の中に すぅ〜っと入ってきました。


言葉には、その人の「人となり」が出ると思っています。


短いひとことで 全てを受け入れてもらえたような気持ちになることもあれば、
短いひとことで 全てが台無しになることもあります。


「氣」の流れが感じられるヨガのクラスでは、
先生のエネルギーがダイレクトに伝わります。


「何も足さない   何も引かない」


どこかのウイスキーと同じように、
そのままのわたしで 皆さんの前に立てるように、


日ごろの自分を整えようと思います:)


f:id:okuyoga:20190405171410j:imageインド リシケシのホテル前。



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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