誰でも「わらしべ長者」

「藁しべ」の存在を忘れているかも。



先日、
母と買い物に行きました。



いつもは、
「めがねが曇るから」と言って
めがねはせずマスクだけで外出する母ですが、



その日はめがねとマスクの重装備



「珍しいな」と思いながら車を走らせて、
最初の交差点。



母が「あっ!」叫びました。



「どうしたの?」と聞くと、



「めがね持ってくるの忘れた!」
言い放ちました。



こんにちは、okuです。



無言でバニティーミラー
(日除けについている鏡)を出して顔を見せると、




母は「やだー!めがねしてたー!」と笑っていました。




サザエさんか、て。
(ただ、わたしもしたことがあります…この親にして…)





ひとつずつ。一歩ずつ。



欲しいものの要素は、



すべて自分の中にあるんだろうなー」と
思っています。




旦那さんが亡くなったあと、




「わたしはいつも無いものばかりを見ていたけど、すべて持っていたんだ」と思いました。




「すべて持っていた」の「すべて」は、




要素です。
成分でもいいのですが、




わらしべ長者が、
「藁しべ」を「蜜柑」に、
「蜜柑」を「反物」に、
「反物」を「馬」に、
「馬」を「屋敷」に…




と、変えていったのと同じように、




誰しも「藁しべ」を持っていると思うのです。




でも、その中間を無視して、




「藁しべは持ってるけど、今屋敷にしてほしい」
みたいな話をされる方が多いのですが、




今、屋敷を手に入れている方たちのほとんどは、
「藁しべ」から「屋敷」を手に入れたわけではなく、




「藁しべ」から順に手に入れているはずなのです。




なんなら、
わらしべ長者よりも、
さらに遠回りしているかもしれません。




「屋敷」を手に入れると、
そこばかりがフォーカスされて、




地道に進んでいく過程が表立ってこないものです。




「薄々、藁しべを持ってるのはわかってるけど、交換するの面倒」
と思っている方も多いです。




でも、長くそれをやっていると、
「藁しべ」を持っていること自体忘れてしまいます。




「やってみようかな?」と感じたり、




誰かに、
「やってみたらいいんじゃない?」というお知らせが入ることで、




「あ、そういえば『藁しべ』持ってたかも」と思い出すかもしれないですし、




行動して馬を手に入れた後に、
「あれは藁しべだったのか」と感じるかもしれません。
(例えです)




「藁しべ」活かしたいですね。
誰もが絶対に持っているはずです。




無意識すぎて、見つけにくいのかも。笑




「藁しべとかどうでもいいから、
日々のイライラをどうにかしたい」という方は、




徹底的に自分に寄り添ってあげて下さいね。




どうぞ穏やかに過ごせますようにヽ(*^ω^*)ノ




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夕暮れ時がいちばん好きです。ひとり散歩。



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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