「たかが人生遊びじゃねーか!」

地球であそぼ。


メガネをかけて運転しました。
コンビニに停まって メガネを頭にずらし、カフェラテを買いに店内に入りました。


「メガネがない!」
頭にかけられたメガネを、焦って探しました。3分は探したでしょうか。
テレビなら、おかずが一品仕上がるくらいの時間でした。


こんにちは、磯野okuです。
日曜日の18時半から主役になれそう。

グチの裏側

グチを言う方というのは、「自分はこうあるべき」「自分はこうありたい」という方向性がわかっている方だと思うのです。
その「こうあるべき」という状態との乖離が大きいと、グチになるんじゃないかな、と。


「きっと やるべきことを先回りして、自分を押しころして、頑張り過ぎているんだなー」と、人のグチを聞きながら感じました。


それは仕事だったり、嫁としての務めだったり、母としての役割だったり。


今自分がいるところが、「理想の自分になるための道」から遠ざかっている気がするなら、
または「方向転換が必要だな」って感じているのなら、そこから離れてみるのもいいんじゃないのかな、と思います。


嫌々やっていたとしても、他人は「あの人は好きでやっている」としか思いません。


仕方なくやっている仕事も、「辞めないでやっているなら、好きでやってるんだよね」って思われてるし、会いたくない人と我慢して会っていることも、他人からは「会いたいから会ってるんだよね」って思われます。

なにを選んでもいい

会いたくないなら会わない。辞めたいことはやめる。食べたくないものは食べない。
わたしたちは、それを選ぶことができます。


「わたしたちは幸せにしかなれません。幸せでないのなら、それは自分自身で幸せに条件をつけているだけです」


…こんな内容が書かれている本やブログがたくさんあります。
わたしもたくさん読みました。
「ふんふん、なるほど。良いこと書いてるなー」みたいな感想でした。


大切な人を喪って 数ヶ月たった頃。
悲しみにくれていたわたしがボーッとしていたとき、突然「人は幸せにしかなれない」ということが、肚(はら)に落ちてきました。なんかもう、降ってきた感じ。環境の良し悪しは自分の幸不幸に関与しない。幸せは不動のものなのだ、と。


それ以降 、「何をやっても幸せなんだろうな」という諦めにも似た感覚があります。


作家でコピーライターのひすいこたろうさんが名刺に書いているという、「たかが人生 遊びじゃねーか」という言葉が、わたしは大好きです。
悲しいことがあったとき、寂しいとき、「たかが…」と思います。地球というテーマパークに遊びに来ているだけなんだ、と。


深刻にならず、真面目すぎず、ゆるっと過ごしたいと思っています:)



バイキングでモリモリ食べました