自分のアタマの常識を疑ってみる
住宅街の一角でヨガのレッスンをさせて頂けることになりました。
目じるしがないため、初めて行く時はわたしも車でぐるぐる。
「参加される方が迷わないように、看板を作ろう!」
思い立ったが吉日。持ち歩けるサイズで なるべく初期投資は少なく・・・ということを検討した結果、「この先一生やらないだろう」と思っていた DIYをすることにしました(震)
そして、出来上がったのがこちらです。
\総額700円(税抜)/
図工の時間以来の工作
*端材 200円・釘 100円(ホームセンター)
*木製アルファベット400円(百均)
わたしって、細かそうにみえてガサツじゃないですか。あ、ご存知ないですかそうですか。「ちゃんと測って釘を打つ」 とか面倒なので、「えーっと、このへん?」って感じで打ちました。
木工用ボンドでアルファベットを貼り付けたら、できあがり。
ちなみに看板、かなり小さいです。てへー。
こんにちは、DIYができるインストラクターokuです。
(釘打っただけ)
嫌な気持ちになったら、気づきの「チャンス」
先生と呼ばれる人はたくさんいます。わたしも、ヨガのクラスでは先生と呼ばれたりします。
でも他のことになったら、違う人が先生になって わたしは生徒になります。
こんな風に 誰が偉いわけでもなく、世の中はそれぞれが ただその役割をやっているだけです。
上司だから有能じゃなければならないわけでもないし、先生だから出来なきゃならないわけでもない。
従順な部下でなければならないわけでもないし、デキる先生にふさわしい生徒である必要もない。
自分を責めたり、他人を責めている時間を持っているなら、その時間を自分の好きなことに使いたいです。眉間にシワを作る時間より、目尻にシワを作る時間を増やしたい。
「非常識」「変だよね」「あれはおかしい」
他人を見てそう感じたら、自分のメガネの曇りを拭くとき。
変なのは、たいてい他人を見ているときの自分のメガネです。
メガネをしてない?じゃぁ「眼そのものの曇り」ですね。笑
これに気付けたら、自分の内側を見るクセがついてきます。
嫌な気持ちになったときに、一度立ち止まって「あれ?今、自分は何に反応したんだろう?」って考える。
すると、「〜べき」と自分で決めていたことや、親から授けられた「常識だと思い込んでいたもの」に出会えます。気付けば、「こんなことに縛られていたのか」と笑って消えます。
「気付いて、消す」
人生は、この作業の繰り返しのような気がします。
こうやって年とともに自由にラクに生きていけたらいいな、と思っています:)