むしろ隠そうとしない方がバレないかも。笑
足の前面を伸ばすため、ヨガのクラスの中で割座(正座ですねを外に出して座る状態)になることがあります。
ヴィラアーサナー(英雄座)という、れっきとしたアーサナのひとつ。
足の疲労をとり、股関節の歪みをとり、わたしの硬い腸腰筋を伸ばすポーズです。
割座から上体を後ろに倒していくのですが、
わたし以外の全員が「ぺたん」と割座のまま仰向けになっていました。
こんにちは、インストラクターなのに 完全に置いていかれていたokuです。
みんなが起きてくるタイミングで、自分も起き上がった風を装ったよ(おい)
ダダ漏れです
みんなと同じように股関節が柔らかい風を装ったわたしですが、まぁ、そんなのはバレてるわけです。笑
ヨガの同期の仲間うちでよく話題になるのは、「レッスンにはすべて出る」ということ。
身体が硬いのを隠したい。腸腰筋がハガネなのを隠したい。人前で喋るのが苦手なのを隠したい。知識が浅いのを隠したい。経験が足りないのを隠したい。
全部レッスンに出ます。
隠したければ隠したいほど、出る。どうしようもなく、出る。笑
隠そうと自我を主張するほど、出る。ダダ漏れるのです。
人って、「決して見ないでください」と言われると、余計に見たくなるもの。
なので、隠そうとすればするほど 覗かれて、バレる。
隠そうと頑張って、頑張りすぎて周りに不機嫌を振りまくのは本末転倒。
それなら家で寝ていてくれた方が、世のため人のためです。
逆に、いいところも ちゃんと伝わると思うのです。
レッスンに来た方が元気になりますように。少しでも呼吸が深くなりますように。楽しかったと思って帰って頂けるように。そんな思いがヨガを通じて伝わりますように。
そんな思いもきっと、伝わると信じています。
幸せとは
ヨガでは、「本当の自分」と「それを見ている自分」は別のものです。
今 自分が認識しているのは「この世を体験するための器」。
本当の自分は、この世で体験していることを 内側から観ている存在です。
幸せ=ウキウキでテンション高め、うひょひょひょひょ♡ という状態を想像しますが、ヨガでいう幸せとは無心の中にあるものです。
何かの欲望が満たされて、めっちゃ楽しい!と思う気持ちは一時的なもの。
平静で恐れに惑わされない心の状態が「幸せ」なのです。
そうは言っても、物が欲しいとか何かしたいとかいう欲望は出てきます。
人間だもの←結局これww
ただ こういうヨガの哲学が、喪失を経験したわたしを救ってくれたのは確か。
「他人にどう思われるか」って必死に他人軸で生きてきたわたしですけど、ぼちぼち変えていこうと思っています:)
たまに食べるから美味しい♡