明らかに極め、「諦める」
昔、海と川と湖の違いというのを学校で習ったと思うのですが、
全然覚えてません(おい)
生物の先生の、
「まさに生命の神秘だわな」
っていう、どうでもいい口ぐせは覚えているのに、
海と川と湖の違いはわかりません(遠い目)
わからないときは、Google先生の出番です。
いい時代ですね。にっこり。
海は、陸地以外の塩水に満たされているところ。
川は、雨水などの自然の水が海に流れるところ。
ちなみに 川 < 河(より大きい)だそうです。
湖は、陸に囲まれていて、深さがある水。
どこからか水が入ってくるわけでも、
どこかへ水が出るわけでもないものだそうです。
こんにちは、okuです。
大きな水を見ると、みんな同じに見えます(いや、説明の意味…)
これは湖です。支笏湖(しこつこ)です。泳げないので、大きい水は恐怖でしかありません(ガクブル)
支配も闘いもないと気付いたときが卒業
「卒婚」という言葉を聞きました。
結婚の卒業、ということでしょうか。
自分の意思で卒業できるのはいいことかも。
こちとら…まぁいいか。
期限がないものについて、
途中でやめるときに「諦める」という
言葉を使うことがあります。
「諦める」はもともと
「(ものごとを)明らかにする」からきています。
明らかにして、その「ものごと」への迷いを断ち切ることが、
近年の「諦める」になっているようです。
諦めるの「諦」の文字、
漢語では、サンスクリット語の「サティヤ(satya)」の訳語です。
サティヤは、
ヨガの八支則のひとつでもあり、
「真実・いつわりのないこと・率直なこと」
という意味があります。
ものごとを明らかにするときに、
環境や周りのせいにせず、
自分の心に誠実に 正直に行動したとき、
それは 明らかに極めた「諦める」であり、
卒◯◯なのかもしれません。
そういう意味では、
わたしが明らかに極めて 諦めたのは、
「妊活」だったかも。
子宮外妊娠、二度の流産、不育症がわかって、
人工授精、体外受精をやって 結果が出なかったとき、
「もう、いいか」と思いました。
環境や人のせいにしなくなって、
明らかに極めた先には、
違う世界への「入学」があるのかも。
ないのかも(え)