インド哲学とmaraṇa(死)

悲劇では、ない。

 

旦那さんの体重が 高校生のときからの10年で
軽く10キロくらい増えたのは、


多分 わたしが毎晩飲ませていた「カツゲン」のせいです。


www.meg-snow.com



ちなみに わたしの体重に大きな変化はありませんが、
体型はかなり変わったようです(遠い目)


学生のとき、バスケットボールをやっていました。
かなりの運動量で、脚が完全に子持ちシシャモになっていました。


その後 就職して、
バスケットボールをやる回数も減り、


脚にいる「シシャモ」が、
メスなのかオスなのかわからなくなった頃、


わたしの後ろを歩いていた上司が言いました。


「足、太くなったんじゃないか?」


こんにちは、okuです。


「自分のお腹のことが、
かなり棚に上がっているのではないか」


と、20年前の上司にわたしは問いたい(田原総一郎)

 

 

着古した服を脱ぐように。衰弱した身体を置いて


インド哲学での「死」とは、
悲しいことではありません。


長く着た服を脱ぐように、
弱った身体から離れて、


次の身体に入るための輪廻のサイクルに入ることを指します。


それは、
期限のある命から解放されて、
永遠の命を手に入れることでもあります。


その旅立ちの準備が整ったとき、
私たちは重たい身体を手放します。


先に出てきた旦那さんも、
わたしに「足が太くなった」と言った 信頼する上司も、


この世での役割を終えました。


「死んだらすべてが無になる」
という考えもあります。


どの考えを選択するのも個人の自由です。


わたしがヨガのティーチャートレーニングで
「輪廻転生」の概念を聞いたのは、
旦那さんが亡くなってから何ヶ月か経ったときでした。


「また会える」


心から そう思いました。


いつか 今世での 「役割」を終える日が来るでしょう。


そうして 先に逝った 大切な人たちとの再会を果たし、
わたしが「oku」として生き終えた報告をするとき、


わたしはとても幸せであるに違いありません:)



f:id:okuyoga:20181212202515j:imageガンジス川の夕焼けはとてもキレイでした。

 

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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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