その力は持ってるから。
この時期、うちの庭には
名前も知らないお花がわしゃーっと咲いています(どんだけ)
そのため、お供えするお花には 事欠かないのですが、
ある朝、母が
「庭に 紫のお花が咲いてるから、それを採ってきたらいいよ」
と言いました。
ほおほお、紫ね。
とりあえず庭に行き、
花を摘んで家に入ると、
わたしが握っている花を見た母が、
「いやいや、紫の花があったでしょ?」
と言って、わたしを庭に誘導して
「ほら、これ!」
って鼻を膨らませて教えてくれたんですけど、
今 うちの庭に咲いてる花、
ほぼ紫色なんですけどね…チ-ン(鼻はかんでません)
4種類の花が入っています。
想定される最悪を引き受ける覚悟を持つ。
-旦那さんが亡くなる前のことを書いています。
気分が落ち込みそうな方は、この画面を閉じて 楽しいyoutubeなどをご覧いただくことをお勧めします-
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旦那さんが病気になって、
当時のわたしは心配することが多かったと思うのですが、
今 思い返すと、
その「心配」の気持ちって、
ホント要らなかったな…って思っています。
旦那さんが緩和ケア病棟に入ってから、
たくさんの方にお見舞いに来ていただきました。
余命宣告も受けてましたから、
「もう会えなくなるかも」と思ってお越しいただいた方も、多かったと思います。
わたし自身も、
「生きているうちに
どれだけの人に会わせてあげられるだろう?」
って思っていました。
でも、旦那さんはお越しいただいた方々に、
「落ち着いたら、挨拶に行きます」
って言ってて。
「あ、この人、ちゃんと、生きようとしてる」
って思ったそのときから、
肺に水がたまってあまり話せなくなった旦那さんに代わって、
「症状が落ち着いたら、ご挨拶に伺いますね!」
と伝えると、旦那さんはわたしの横で安心したように笑っていました。
でも、こうやって言えるようになったのは、亡くなる少し前のこと。
それまでのわたしは、恐怖と心配に打ち震えていたと思います。
心配って、結局のところ、自分の心配です。
人の心配をしているようでいて、
自分のことを心配しちゃっていたりします。
「寿命が尽きるまで、生きることを信じる」
ことは、目の前の人の力を信じるということです。
人の生死に限らず、
目の前の人をむやみに心配しないようにすることは、
大事なことだと思っています。
それは、「自分がその結果を引き受ける覚悟を持つ」ことでもあります。
そして、「引き受ける力がある」ということを、
自分自身が信じること。
「相手も信じられない、自分も責任を負いたくない」
だと、ものごとは前に進みません。
ちゃんと対応できるから、
目の前のそのこと(困難)は起きているのです。
週もなかばを過ぎましたね♡
どうぞ、穏やかに過ごせますようにヽ(*^ω^*)ノ
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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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