「正しい」は人による。

さよなら、常識さん。

 

「だしソムリエ」という資格を持っています。


旦那さんががんになったときに、
減塩は必須っていう情報を仕入れて、


「出汁がしっかりきいてて、減塩の美味しいご飯をつくろう!」って思ったんです。


で、その講座の中に
「出汁の飲み比べ」
っていうのがあって、


昆布出汁、鰹出汁、干し椎茸の戻し汁、煮干の出汁なんかがあって、
飲めばすぐわかるくらい美味しいものだったんですけど、


飲んでも飲んでもわからないやつがひとつあって。
出汁っぽい味はするけど、塩っぱいしマズい。


f:id:okuyoga:20190609224450j:image出汁飲み比べ。


「なんなの、これ」と思ったら、
うま味調味料が入っている「顆粒だし」でした(泣)


こんにちは、okuです。


堀江貴文さんの「疑う力」という本を、
「なるほど」「ふむふむ」「ですよねー」
とか思いながら読んでたんですけど、


そのなかに、
「化学調味料は体に悪いっていうけど、
グルタミン酸ナトリウムは、昆布の旨みと成分は一緒なんだから、健康に悪いわけはない」
って書いてあって。


健康に悪いかどうかはわかりませんが、
うま味調味料で具合が悪くなったわたしとしては、この意見には賛成できなかったんですけど、


本は面白かったですーヽ(*^ω^*)ノ

 

疑う力 「常識」の99%はウソである

疑う力 「常識」の99%はウソである

 


 

f:id:okuyoga:20190609224332j:image




それぞれの立場でみんなが正しい。


堀江さんの「疑う力」の副題にも
「常識の99%はウソである」
って書いてあるのですが、


先日「常識」という言葉を聞いたとき、


「久しぶりだなー」と思いました。


遠い昔ずいぶん会っていたのに、
今ではすっかり会わなくなった同級生みたいな。


「どーもー、久しぶり。元気だった?」って言われても、
「顔は思い出せるけど、誰だっけ?」みたいな。


懐かしい気はするけど、思い出せない。
そんな感じでした。


でも以前はずっと、自分が思っている「常識」と照らし合わせながら
生きてきた気がするんです。


「子どもだから」
「学生だから」
「女だから」
「妻だから」
「仕事なんだから」


そんな役割の中で、たくさんの「すべき」がありました。


そうやって生きてきたある日、旦那さんを喪ったのですが、


大きな役割を喪失して、
何を基準に生きていいのかが わからなくなりました。


それまでは 旦那さんについて、
言われたことに「うんうん」って言って、楽しく暮らしていればよかったし、


そんな日が永遠に続くような気がしてたんです。


指針を失くしたわたしは、
「〜すべき」をやめました。


やめたというより、できなかったのです。


それからは、「自分が元気になれる方」を基準に選んできました。


その頃から、「常識さん」とは随分と距離が出てきたように思います。


もう、「常識さん」とはあまり会わないかもしれない。


そもそも、その「常識さん」は わたしが頭の中で創り上げた想像の人物だったのかもしれません。


「正しい」は人によって違います。
うま味調味料も同じことです。


みんなそれぞれ、自分が経験したことで判断してるし、
それぞれの立場でみんなが正しい。


常識に縛られるより、
人の意見を聞いて「あ!そうかも」とか「わたしはこう思う」って軽やかに言えるような、


頭の柔らかい人でありたいな、と思っています。


新しい週が始まりました。
今週も穏やかに過ごせますように:)


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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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