穏やかで平和=豊か。
亡くなった叔父の家の整理をしていたとき、
ご近所のおばさまに声をかけられました。
「この家、壊しちゃうの?」
「そうなんです。そのための荷物整理をしていて」と伝えると、
「わたしも数年前に旦那さんを亡くして、
近くに引っ越してきたんだけど、
旦那さんのものを捨てられなくってー」
そう話すおばさまは、80代だそう。
こんにちは、okuです。
80代で無理なら、
わたしには絶対無理だなと思って、
今年も始まってまだ数日ですが、
荷物整理できる気がしませんヽ(*^ω^*)ノ(やれ)
悲しみの裏側にある幸せ。
年始早々、片麻痺の父が部屋で転びました。
家族全員の呼吸が一瞬止まります。
受け身ができないので、
かなりの勢いで転びますし、
大人の男性が部屋の真ん中で転ぶと、
椅子に座らせるのも大変。
無事に椅子に座れた頃には、
転んだ本人も、家族もぐったりしています。
そんなときは、ゆっくりと呼吸したり、
レスキューレメディの力を借りたりします。
先日、友だちのお父さんが亡くなりました。
ウチの父が脳卒中で倒れる半月前に、
友だちのお父さんも脳卒中で倒れたので、
闘病年数はほぼ同じで、
よって、
介護年数もほぼ同じです。
生きていると、呼吸が止まるようなできごとが起こります。
大切な家族を喪うこと以上に、悲しいことはありません。
わたし自身、
まだまだ一緒に生きられると思っていた旦那さんを喪ったことは、
「もう絶対に経験したくない」と思うできごとですが、
信じられないほどの悲しい気持ちは、
その裏にある日常の幸せを、
信じられない深さで感じさせてくれます。
信じられないくらいに悲しいのは、
信じられないくらいに幸せだったから。
今、安心して過ごせているのなら、
すべてが整った絶妙なバランスで生きているということです。
転んだ父の打ちどころが悪ければ、
わたしはこうやってブログを書くこともないでしょう。
なにかが起きたときには、
自分をハグして丁寧に呼吸をします。
なにも起きていないときには、
それがあたりまえではないことを感じます。
穏やかな日常は、
それだけで信じられないほど豊かです。
ここからの一年間、穏やかな毎日を過ごせますように。
魚を選んだのに、友だちのお肉が美味しそうに見えることがあります。食べられるのも、豊かなことヽ(*^ω^*)ノ