その重たいヤツ外してみましょうか。
ファンデーションというものを塗らなくなって久しいのですが、
ヨガ以外で「講師」として人前に立つにあたって、
「ファンデーションっつーものを顔面に塗らなければいけないのではないか」という気がしまして、
百貨店の化粧品カウンターで、
「試供品をくださいな♡」と頼んで、頂いてきました。
それからというもの、
手を替え品を替えて、試供品を試してみたのですが、
シワにめり込むし、
顔は重たくなるし、
全然使いこなせません(遠い目)
こんにちは、okuです。
間違いなくわたしの顔面と技術的な問題ですが、
ここから先、ファンデーションというものを塗らないと思います(諦め)
重石を外して、ちょっと覗いてみましょうか。
以前旦那さんに、
「自分が亡くなったら、悲しいだけのブログは書かないで欲しい」と言われました。
「悲しみが伝播するから」だったのかもしれないし、
「自分(旦那)との思い出を悲しいだけにしないでほしくないから」かもしれないし、
どちらも違うかもしれない。
答えは彼の内にあり、この世にはありません。
旦那さんを思い出すときのわたしの感情は、
楽しかった思い出と、
一緒に過ごした喜びと、
喪った哀しさと、
何も出来なかった怒りがないまぜになって出てきますが、
「居なくて悲しい」という感情が出てきやすいです。
人の感情は、「その人が出しやすい感情」を出しているだけで、
みんなが同じではありません。
同じ「旦那さん」というワードでも、
ホワッと幸せな気分になる方もいれば、
なんだか嫌な気持ちになる方もいます。
「作ったご飯を美味しいって言わなかったな」と怒りが湧くかもしれないし、
「アイロンを掛けておいたシャツを何も言わずに着て行ったな」と寂しい気持ちになるかもしれない。
「そもそも[旦那]がいないんですけど!」と思う方もいるでしょう(わたし)。
みんな、違います。
みんな、感じ方が違うのです。
「感じ方が違う」ということは、
「(感情の)前提が違う」ということです。
「美味しいって言わなかった」それだけを見ても、
ある人は、
「ご飯を食べたら、作った人に対して『美味しい』と敬意を払うべき」って思ったのかもしれないし、
ある人は、
「前に同じご飯を作ってくれたときには『美味しい』って言ってくれたのに」って思ったのかもしれない。
そして、もっと掘り下げていけば、
「だってお母さんが、美味しいときには美味しいって言いなさいって言ってたもん!」という思いが出てくるかもしれません。
自分に負の感情がわいたときには、
その瞬間には出来なくても、後から「なぜあのとき、そう思ったんだろう?」と考えるようにしています。
自分から出てきた感情には、フタをするのではなくて、
出して理解してあげたいです。
週のなかばですね。
どうぞ穏やかに過ごせますようにヽ(*^ω^*)ノ
感情にも、光をあてれば明るくなります。
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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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