わたしたちは自由に選べる。
お煎餅を食べて、口の水分がなくなっているところ失礼します(わたし)
引きこもっているせいか、
ぱりんこの減り具合が半端ないんですけど、
これが全部自分のお腹に入っているのかと思うと、びっくりしますね。
しかも、なんだかお腹が出てきたような気がするのは気のせいでしょうか(自業自得)
こんにちは、okuです。
4月から本気だす(๑و•̀ω•́)و (毎年思う)
自分で選べるなら、どれを選びますか。
久しぶりに自分のブログを読み返したら、
ほぼ同じことしか書いていないことにびっくりしました。
「幸せも不幸も、自分の外側にはない」
それをただひたすらに書いていました。笑
幸せだと思う出来事も、
不幸だと思う出来事も、
それを見ている自分がそう思っています。
自分の感情が、心が、そうだと思っている状態。
「自分の内側」から「自分の外側」を見て、反応している状態。
自分が不快な出来事に遭遇したときに、
嫌だという感覚を手放したいのなら、「自分と向き合えばいい」し、
何かを責めていたい気持ちがあるのなら、「そのままでいればいい」。
どちらを選ぶのも自由であり、「自らに由る」。
どちらが正しいわけでもなく、
「感情を感じるため」にここにいる私たちは、
好きな感情を味わい尽くせばいいのだと思います。
主役は自分ですから、
自らの演出で感情は選べます。
不快なときだけではなく、
嬉しい気持ちもたまに見直すと、
自分の快適がわかります。
人を出し抜いたような、
「わたし(ぼく)ってすごい。ぐへへへへ」みたいな嬉しさって、
自分にハリボテの何かをくっつけただけのとき。
表面だけとか、
上っ面だけ嬉しいのは、
わたしの快適とはちょっと違うものです。
内側から喜びや嬉しさが「ふわっ」と湧き出たときや、
全身に「ほっとした呼吸」が巡るような安心感が広がるときに、
とても幸せな気持ちになります。
人生半分以上生きてきて、
なかなかの経験もしてきたので、
自分が感じたくない感情は減らしたいし、
やりたいことをやりたいし、
大切な人のために時間とお金を使いたいと思っています。
だからこそ、「自分にとっての快」を自分自身がちゃんと把握したいので、
瞑想やノートワークの時間を大切にしています。
皆さんも、ご自身の快適な時間が増えますように。
そして今週も、
穏やかに過ごせますようにヽ(*^ω^*)ノ
友だちの家に行ったら、旦那さんがパスタもサラダも作ってくれたー。超絶激ウマ。
✢𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊✢𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊✢
北海道 札幌でヨガ講師をしています。
ご予約・お問い合わせはこちらから𓂅𓇢𓇠𓆸
** ご予約・お問い合わせ **
✢𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊✢𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊✢