人のせい+言い逃れ=不自由
かれこれ3ヶ月くらい、
お店で「マスク」っつーものを見ていない気がするのですが、
世の中には存在しているのでしょうか。
困っているわけではないのですが、
いつもガラ〜ンとしているマスクコーナーを見ながら、
「もしかしたら正直者には(マスクが)見えるのかも」と思ってしまうのは、わたしだけでしょうか。裸の王様的に。
こんにちは、okuです。
大丈夫!ぱりんこは見えていますヽ(*^ω^*)ノ
(潤沢な在庫をいつもありがとうございます)
かっこ悪くても、自分の人生がいい。
父は半年くらい外に出ていません。
冬には、身障者1級の父を外に連れ出すことができず、
(家の構造と父の機能上難しい)
やっと雪が溶けてきたと思ったら、
コロナで出られなくなりました。
「床屋に行きたい」
それが、父のいちばんの望みです。
「バリカンで切ってあげたら?」と思う方もいると思いますが、
「床屋さん」という場所が好きな父は、
例えわたしがバリカンで髪を切ってあげたとしても、
心の満足は得られないでしょう。
車椅子から、
よっこらしょといつもの床屋さんの椅子に座り、
研いだハサミで
チョキチョキと切ってもらっている父の顔は、いつも満足そうです。
家の庭だけを見ている父は、
緊急事態宣言中の今も「床屋に行きたい」とわたしに圧をかけますが(笑)、
「行くなら覚悟を決めてから」と伝えています。
全然大丈夫かもしれない。
でも、
罹患する可能性もある。
そして、
「どちらにしても自己責任」と、
年老いた父に覚悟を迫ります。笑
そしてそれは、
連れ出すわたし自身も同じです。
これに限ったことではなく、
「言われたからやる」とか、
「外的なもののせいにする」ことは、
「あなたの意思はどこに行ったの?」ということになります。
自分で意思決定するから自分の人生であり得るわけで、
「◯◯に言われたからしょうがなくやった」とか、
「やっぱりやらなきゃよかったー◯◯のせいだー」と言うのは、
自分ではない誰かに縛られていて、
とても不自由です。
人生は本来いつでも自由です。
ただ大人なら、
覚悟と責任が伴います。
失敗したら、
「失敗した。もう一度やろう」でもいいし、
「わかった、もうやらない」でもいい。
間違って迷惑をかけたのなら、
「ごめんなさい」と謝ればいいし、
かっこ悪い自分を見つけたら、
そんな自分にがっかりしながら、
また一歩進んでいけばいい、と思うのです。
わたしたちは、
いいと思われる出来事からも、
悪いと思われる出来事からも、
どちらからも学びます。
「自分で責任をとる」と覚悟を決めたら、
人生は自分が主役だったと思い出せます。
自分と向き合うことで、
自分の不甲斐なさに、
ため息をつくことも増えるかもしれません(わたし)
でも、人のせいにする人生よりずっといい。
そう、思っています。
週末ですね。
どうぞ穏やかに過ごせますように٩(ˊᗜˋ*)و
母に送られてきたマンゴーをわたしも頂きます♡旦那さんが見たら「う〜〜〜〜〜〜」って言って、二人で「マンゴー!」って言ってます。たぶん。笑(「ウー・マンボウ」という歌があります)