穏やかで、且つ、つまらないもの。
札幌市の図書館が、もう長い間
休館となっております。
図書館のサイトには、
「予約した本の用意ができています」
という切ない表示。
5月末まで休館だそうです。
ブックカフェで、
本を読みながらコーヒーを飲んでいた日々が遠い昔のようです。
こんにちは、okuです。
そんなわたしは、
心の穴を埋めるように、
ぱりんこを食べ続けております(言い訳)
幸せってなんだっけ、なんだっけ。
どのような状態を幸せだと思えるでしょうか。
数年前、
「環境にかかわらず人は幸せ」と、肚に落とされたわたしですが、
幸せというのは、
言ってみれば「穏やかで、つまらないもの」だと思っています(え)
何も問題が起きないということは、
つまらなくて、
穏やかで、
とても幸せなことだと思うのです。
その穏やかな状態で生活をしていると、
感情を揺さぶられるような何かが起きたとき、
「あー、人間っぽいなー」と思えます。
生死が絡む深刻な問題の場合にそんな余裕はありませんが、
感情が動くときは、
何かに気付くときで、
「その火種も、解決する手段も、
必ず自分の内側にある」と理解してからは、
「喜びが善」で
「怒りが悪」とは思わなくなりました。
「幸せ」と「不幸せ」の境い目は何でしょう?
幸せは、穏やかですがつまらないものだと思っています(二度も言ってしまった)。
不幸に思える出来事も結局は、
「自分の内側にある何かを思い出させてくれる出来事」なのだとしたら、
そもそも「不幸」ってあるんだろうか、
と思うのです。
ウチの両親は、どうでもいいことで小競り合いをしていますが、
わたしが失ってみてわかるのは、
そんな時間すら愛おしい時間だった、ということです。
問題は、
「問題視している自分の中で起きている」のであって、
自分の外で起きているのではありません。
でも、感情にのまれるほどに何かを感じているのなら、
それだけ「守りたい何か」が自分の中にあるだけ、です。
「自分は今不幸だ」と思って過ごしているのなら、
自分を知るために、
感情を何かに書き出してみるとか、
やりたくないことをするのをやめるとか、
やりたいと思っていることを、言い訳をくっつけずにやるとか、
やっぱり自分のために「行動する」ことだと思っています。
自分に何かをプラスするから幸せになるのではなくて、
「何もない自分が既に幸せなのだ」と理解したとき、
人生はとても生きやすく、穏やかなものになります。
今週も穏やかに過ごせますようにヽ(*^ω^*)ノ
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