陰極まると陽、陽極まると陰。

最初から中庸を目指さなくても。



ヨガのレッスンの前は、
かなりお腹を軽くして行きます。



すると、



レッスン後にお腹が空きます(自然の摂理)



そんなこんなで、
レッスン後にひとり喫茶店に行き、



美味しくホットサンドを食べていたときのこと。

 

 

背広を着たサラリーマン風のお二人が、



「僕が払います!」
「いやいや、僕が!」と伝票を引っ張りあっていました。



こんにちは、okuです。



わたしの伝票を一枚握らせたら、



仲良く一枚ずつになるかなぁ…って♡
↑クズ



 

なにかを「目指す」より、自分に「戻る」



「時代の流れが変わる」とか、
「波動が変わった」とか、
いろんな情報が流れていて、




実際「そうなんだろうな」とは思うのですが、




なんとなく、
「その流れに乗るために頑張らなきゃ!」みたいな、




力入ってる系の投稿を目にすることが多くて、




最近は、ぱたん…と閉じて、




違うものを見に行きます。




好きなことをやっている方は、とても楽しそうなのですが、




「こう在るべき」と力が入っている投稿には、
文章の行間に呼吸の浅さを感じて少し窮屈に感じます。






若い頃は、
「年齢を重ねるとどんどんラクになるはず」と思っていました。




実際は、年齢を重ねても問題は起こるし、悩みはあると思うのですが、




年齢を重ねると、
智恵がついてくるのと、
「負けられる」ようになります。




「あの人が持っている◯◯を私も持たなきゃ」とか、
「アイツが◯◯だからオレも◯◯にならなきゃ」とか、




そういう、
「自分で勝手に作るライバルというか敵みたいな人がいなくなる」というか、




いてもいいんですけど、
「あの人は持っているけど、まぁいいや」って、




争わなくて良くなったり、
負けてもいいと思えるようになります。
(「負け」ではないんですけど。笑)





年齢とともに手に入るものって、
こういうものかもしれないなーと思っています。




持っていないことで卑屈になるわけでもなく、
自分を卑下するわけでもなく、




「そんな自分でいいや」




そう思って、
自分を丸っと受け入れられることが、




「年を重ねる」っていうことなのかな、と思ったりします。




でもそれは、
若いときから物分かりよくするということではなくて、




いろんな経験を経て感じるものだと思うので、




ブログを書くたびに「穏やか穏やか」言ってるわたしですが、




若い方は、別に穏やかじゃなくてもいいんじゃないかなーと思っています。




好きなように、
したいようにするのが一番ですよね。




上手く生きるのではなくて、
ただ自分と生きていればいいと思っています。




わたし自身はもう波乱万丈とか要らないので、
これからも穏やかに過ごしたいと思います。笑




ということで、




どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ

 

 

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頂いたキャンドルはとてもいい香りなのです。



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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