心の手綱を握っているのは。

自分自身です。



コロナ禍。
脳卒中の後遺症で、
引きこもりの父は、




さらに
引きこもりになります。




でもね(長山洋子)、




人って、
あんまり引きこもると
身体によくないですよね。




ということで、




平日の、
できるだけ空いている時間を目掛けて、




父を車に乗せて、
近所のスーパーへと向かいました。




車椅子と買い物カートを
一緒に動かすにはコツが要りますが、




買い物かご山盛り2つ分、
たっぷりと買い物をして、




車に父を乗せ、
出発から2時間ほどで、
家路に着きました。




こんにちは、okuです。




帰りの車の中で、
父が言いました。



「お母さん、どうしてるかな」




…ん?




いやいや、
めっちゃ羽伸ばしてますわ。




いつもテレビのリモコンを
お父さんに占拠されている分、




今頃、
ソファで横になって、
テレビも見放題だわ!




…とは言わず、




「どうだろ?」
と伝えました。




わが家は今日も、
平和です。





「反応」を客観視できるかどうか。



自分の感情を、
人に持っていかれるのは、




「もったいないな」と感じます。




何かをされ(たような気がし)て、
感情が動くことはありますが、




それは、




「反応」です。




膝関節の腱を叩いたら、
足がぽん!と上がるくらい「反応」です(脚気かっけ)。




膝カックンをしたら、
力が抜けるくらい「反応」です。




なので、




「ぬおぉぉぉ!
膝関節の腱を叩かれても足が上がらないように、
ビタミンBは取らないぞー!」
ということをしなくてもいいですし、




「いつ膝カックンをされても大丈夫なように、
(よろい)を着て生活しよう」
と思わなくてもいいのです。




「反応」が起きたら、
ただ、
「反応が起きたな」と、ただ、感じる




それが、
「イラっ」とすることだったら、




「自分がやっちゃダメだと思っていることを
あの人はしている」からかもしれないし、




「羨ましい」という感情が
湧き上がったのであれば、




「自分もあんな風になれると思っている」からかもしれないし、




どちらにしても、




自分の中にある
なにかが、
「反応」しただけです。




「あら。心拍数が上がってるかも」
「心が反応して、身体がこわばってるかも」




そんな風に、
自分を外から見られると
反応は少しずつ
小さなものになるかもしれません。




「人のせいだ!」と思うのは
いいのですが、




ただ、その
「人のせいだ」と思っている、
その心の手綱を握っているのは、




自分自身だ、ということを
忘れずにいたいですね。




週も半ばになりました。
どうぞ穏やかにお過ごし下さいヽ(*^ω^*)ノ




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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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