「50の恵」

年齢を重ねることはよきこと。



札幌の街の中で
「ロレックス駐車場」というのを見て、




「ロレックス、て」と
鼻で笑っていたら




ロックレス駐車場だったのですが、




これからどれだけ
このような勘違い・読み間違いをするのでしょうか。




こんにちは、okuです。




お金を扱う仕事を辞めたことに
心から安心するとともに、




「そんな自分もまぁまぁ面白いかも」
と思っています。




そのうち
ぽたぽた焼きを買って
「まつがったー!」
って言ってるかも。



↓いつもぱりんこを「ぽたぽた焼き」と言い間違える母

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「知恵」と「自分の心」に乖離がなくなる



「在るもの」が多すぎると
今ある幸せが当然のように感じてしまって、




「幸せを感じにくい」ときがあります。




わたしの場合は、
旦那さんが亡くなったことで




自分の内側に
ありえないほどの喪失感と空虚感が起こったのですが、




それはきっと
わたしが「あれもこれも」と
背負ったものを
強制的に手放した瞬間だったのだと思います。




その経験以降、
わたしはこころの空きスペースに
「生きるための知恵」を
ゆっくりと入れている気がします。




まもなく
独りになって丸五年。




未だに闘病期間の記憶が強すぎて
しゃがみ込みたくなるときもあります。




でも、
そのつらさと悲しみを感じられることに
「ほっ」とする自分もいます。




このつらさと悲しみが
自分の中にあるうちは、
幸せであることを忘れることはない」と思えるからです。




二面性がある世界で
生きているわたしたちは、




「幸せな環境に身をおきながら
幸せな自分を感じる」ことが、かなり難しいです。




「つらい」「悲しい」「苦しい」




そんな経験をしてこそ、
「あんなどうでもいいと思っていたことすら
幸せだったんだ」と気付けたりします。




旦那さんの喪失も含めて、
いろいろな経験もしてきました。
それらはわたしの経験値を増やし、
生きるための知恵を増やしてくれました。




人生半分以上生きた今では、
「不快」と感じることが減りました。
当然のように感じていた穏やかな日常は、
宝物のように感じることができます。




でもきっとそれは、
この年齢になるまでに
いろいろな経験ができたから。




今は、生きるための知恵や
こころの在り方を発信されている方が
ほんとうにたくさんいて、




それらを「こうあるべき」のように
受け取ってしまう方もいるかもしれませんが、





自分が感じたことが正解です。





知恵は「知恵」としてそこにあるのであって
自分の感情を
置いてきぼりにするものではありません。





「こうあるべき」と発信されている方の
自己肯定感が高くて、
そのエネルギーも乗って発信されているので




「やっぱりあの人の言うことに間違いはないわ」
と思ってしまいがちですが、




「良いこと言ってるかもしれないけど
わたしはムカついてるのよー!」
と感じるときは、
まずその感情を大切にしたいと思うのです。




年齢を重ねるごとに、
こころは柔らかくなります。
(もっと年齢を重ねると「脳が萎縮する」とか
あるかもしれないですけど、それは別として)





年齢を重ねることで 経験からの知恵もつき、
腹が立つことも減って
いい意味で「まわりのことがどうでもよく」なります。笑




友だちとも話すのですが、
これこそが「50の恵」。




人生後半になって、
そう感じられることが
本当にありがたいです。




早くして逝った旦那さんにいつか
「少しは成長したでしょう?笑」と
言えるように、




そして、




「お待たせしました♪」と言って
笑いながら再会できるように、




毎日を大切に
積み重ねていきたいと思っています。




新しい週がはじまりましたね。
どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ




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Yoga Niketan Ashram @リシケシ



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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