見逃さないようにしたい。
パンに何をつけますか?
バターやジャムなど
いろいろあると思いますが、
わたしはバターが大好きで。笑
特にカルピスバターが好きなのですが、
「カルピスバターが美味しいの♡」と
友だちに話したら、
友だちがカルピスバターをくれました。
こんにちは、okuです。
前に、
「赤福が大好き」と言ったら
友だちの甥っ子が
買ってきてくれたことがありました。
(友だちが「okuの分も買ってきてあげて!」って頼んでくれました)
好きなものは、
公言しておいた方がいいと思いますー(おい)
振り返れば「幸せだった」と思うはず。
忘備録的な話になりますが…
5年ほど前の9月。
旦那さんの食道がんは
手術・治療が奏功することなく
余命宣告を受けました。
その話を(わたしの)兄から聞いた母は、
翌日、救急車で運ばれ、
入院となりました。
父は当時から脳卒中の後遺症で
右半身にマヒがあり、
絶対的に人の手が必要でした。
がんの末期を迎えた夫と
救急搬送された母と
ひとりでは生活不可能な父。
闘病中の旦那さんと住む自宅と
母が入院する病院と
半身麻痺の父がいる実家を行き来する生活が
続いたある日、
半身マヒの父が
ひとりでいるときに転んでしまい、
いよいよ歩けなくなりました。
人生最大に詰んだ日でした。
父を受け入れてくれる施設を
探してもらうまでの間、
自分がどうやって動いていたのか
記憶がほとんどありません。
しばらくして、
旦那さんは症状が悪化して
緩和ケア病棟に入院。
父は一時的に施設に入所しました。
その後、
旦那さんは亡くなり、
母は退院し
葬儀のすべて終わらせて、
わたしが実家に戻ってから
父は、
自宅(実家)に戻りました。
そのとき、わたしは決めたのです。
「自分をこんなに悲しませることは、
もうしない」と。
あれから、5年。
父は、脳卒中で倒れてから
まもなく20年目を迎えます。
父がここまで自宅で過ごせたのは、
父自身の努力と
母の献身的な介護と
わたしも含めて(え)
たくさんの人に支えられてきたからです。
そんな父が
数日前から歩けなくなりました。
今は家が完全にカオス状態です。
あと数日
この生活が続いたら
母とわたしもろとも崩れるでしょう。
5年前のわたしだったら
「我慢すればなんとかなる」
と考えたかもしれません。
でも、
「もう自分を悲しませることはしない」
そう決めたのです。
限界を感じたら
「助けて」と叫ぶこと。
無理だと思ったら
「無理です!」と助けを乞うこと。
「 " 助けて欲しいわたし "がここにいます! 」
って、大きく手を振って
周りの人に伝えることがとても大切です。
そして、
大切な人と暮らせない日は
唐突にやってくるかもしれません。
わたしたちの毎日は
どの日を切り取っても
振り返れば愛おしい日々です。
介護で寝られず
「大変」と感じる日々も、
いつか振り返ったときには
「それも幸せだった」と
きっと思います。
旦那さんが亡くなる前日、
病院の最上階にある緩和ケア病棟から
ふたりで
窓の外を眺めながら、
「この状況さえも幸せだったと思う日が来る」
と思いましたが、
今、その通りになりました。
いつでもわたしたちは、
「振り返れば幸せだった」と思う日々を
毎日歩んでいます。
自分のこの手のなかに
溢れんばかりの幸せがあることを見逃さないように、
毎日を過ごしたいと思っています。
週末ですね。
どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ
寝られて、食べられて、排泄できたら100億点。
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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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