みんな大丈夫。

みんな幸せ。


わたしは
新卒で入社した会社で10年働きました。




札幌中心部には
1.5キロにわたって東西にのびる
大通公園というのがありますが、




その大通公園沿いのビルに入っていた
わたしが勤めたその会社は
資本金 数百億円の大きな会社でした。




ですが、
アル中のおじさん(社員)が
粗相をしてそれを隠ぺいしようと
パンツをトイレに流して詰まらせたり




偉いおじさんが
平社員をよく怒っていたり(パワハラ)




その平社員のおじさんが
転勤した後に
偉いおじさんより偉くなっちゃって
立場逆転ということも
よくありました(下剋上)




こんにちは、okuです。




そんなことを
ふと思い出したので




ぱりんこを片手に
久しぶりに会社のホームページ
というものを見てみたら、




知っている人が執行役員になっていて
「あの若かったお兄さんが…!!」と
しみじみしました。




これをお読みのあなたの
20年前は
何をしていましたか?




そう思えなくても、大丈夫。



「目の前の人は大丈夫」




目の前の人が
身近であればあるほど




その「目の前の人は大丈夫なのだ」
という視点が
とても大切だと思っています。




大変そうに見えても大丈夫ですし
大変そうに見えても幸せなのです。




そう思えない時は
自分に対してそう思えていないときです。




旦那さんが亡くなるとき
わたしは
世の中の心配と不安を
全部合わせたような世界の中にいました。




人には
自分が選択できる
いくつかの道があると思うのです。




当時のわたしには
「人を頼る」という
その頼り方もわからなかったですし




「自分さえ頑張れば
なんとか事態は好転するはず」と
昭和の体育会系みたいな考え方で行動していたのですが、




でも、今、思えば
それは全く奏功しなかったと思うのです。




旦那さんの余命が短くなったとき、
わたしはそれを
家族に言えずにいました。




ですが、
旦那さんの余命について
旦那さんのブログを読んだ兄から
その報告を受けたわたしの母は
その翌日、
救急車で運ばれました。




母不在になった家に
残された身障者の父を
ひとりにするわけにもいかず、




余命宣告された旦那さんと
身障者の父との間を
往復する日が続いたある日、
父も転んで歩けなくなりました。




わたしが人生最大に詰んだ
5年ほど前のできごとです。




あのとき、
わたしがひとりで
なんとかしようとせずに




わたしが自分で
母に「こんな感じで大変なの」
と伝えていたら。




まわりの人に
「わたしは大変ですー!!」と伝えて
助けを乞うことができていたら。




「自分も旦那さんも大丈夫」と
心の底から
信じることができていたら。




あそこまで
事態をこじらせることは
なかったと思うのです。




「大丈夫 = 死なない」
ではないのですが、




わたしたちは本来、
いつでも
大丈夫なのです。
(いや、ざっくりすぎ)




「自分も目の前の人も
大丈夫だし、幸せなんだ」
常日頃から思えていたら、




いつか来る
大切な人の最期の日に
「大丈夫、この人は
幸せだったのだから」
思えると思うのです。




この世を去るということは
大丈夫じゃない気が
してしまいますが、




むしろ人生を終えられるというのは
「平等に与えられている権利」のような気が
わたしにはするのです。




大丈夫。
わたしも
あなたも
あなたの大切な人も
みんな大丈夫で
みんな幸せです。




新年度。新しい週がはじまってますね。
どうぞ穏やかにお過ごし下さいヽ(*^ω^*)ノ



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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