自分が変わるしかない
「コロナが落ち着いたら会いましょう」
このことばには、
「落ち着いたら本当に会いたい!」
という強い思いがある場合と、
「お断りの口実として」
使われる場合がある気がするのですが、
この
「コロナが落ち着いたら会いましょう」
ということば、
コロナが落ち着いてきている今、
その " お断りの効力 " が失われそうに
なっている、という記事を読みました。
こんにちは、okuです。
上の記事に書いてありますが、
Twitterで
「【急募】『コロナが落ち着いたら』に代わる角が立たない断り方」
という投稿をしたところ、
たくさんの断り方の名案が
リプライ欄に
書き込まれたそうです。
その中にある
・職場が厳しくて
・職場がまだうるさくて
という断り方は、
職場がほぼ自宅のわたしの場合
「は?」
って言われて終わりますね。
ははは(乾いた笑い)
まわりは自分を見せてくれるもの
本を読んで
「やりたいことをやりましょう」
って書かれていたら
やりたいことなんてわからないわ!
と思っていました。
「あなたが思っていることが現実です」
って書かれていたら
こんな現実なんて望んでないわ!
と思っていました。
「朝目覚めたときは元気で
" 今日、何しよう?" と思えるのが普通です」
と言われたら
そんな人いるの?!
と思っていました。
そんなわたしも
今では
「そのとおりだわ」と思います。
思考のクセも性格も
変えたいと思ったら
変わります。
どちらがいいとか悪いとかは
まったくありません。
やりたいことがあってもいいし
やりたいことがなくてもいいし、
目の前の現実が思考の現れだと
思っていても
思っていなくても
どちらでもいいですし、
朝起きたときに
元気に目覚めても
そうじゃなくても
どちらでもいいです。
" 自分自身がいいと思っていたら "
どちらでもいいです。
あの人が言っているから
「いい」わけでもなくて
その人が言っているから
「正しい」わけでもありません。
世の中の情報は過多になっていて
大きな声で堂々と
言っている人のところに
流れてしまいがちですが、
ぼそぼそと小さな声で
自分に必要なことを
言ってくれている人もいます。
大切なのは
自分自身の直感と判断と決断です。
ただ、そのために
「自分を信じられる状態」
であるかどうかが
必要になってきます。
自分を信じられる状態であれば
他人に言われたことも
適切に判断できるはずですし
不必要に揺らぐことがありません。
そのために 自分自身が
「やりたくないことをやらない」ことは
大切な気がしています。
みんなそれぞれに正しいですし
何を選んでもいいと思います。
それが、
大前提だと思っています。
本来、人はものすごく自由ですが
それを認識すると震えてくるので
無意識のうちにやらない理由を見つけて
自分で勝手に
不自由を作り出しています。
自分が
世の中のどれだけの人に
支えられているかを考えると、
超絶めんどうになってくるのと
自分ひとりでは
何ひとつできないことに絶望して
考えるのをやめたくなります。笑
わたしも
あなたも
あの人も
みんな正しい。
そして
わたしも
あなたも
あの人も
みんな考え方が違います。
もしも、あの人が正しいとしたら
自分は何をしたらいいでしょう。
もしも、何も問題がないとしたら
自分は何をして生きていくでしょう。
「間違っているのはあの人」
「問題ばかり。問題がないとかあり得ない」
そう感じたら
変えるべきは
「あの人」でも
「問題」でもなくて
" 間違っていると思っている " 自分と
" 問題があると思っている " 自分
なのかもしれません。
そしてわたしはいつも
" 変わるべきは自分だった " と
気付いて
そんな自分にガッカリするのです。笑
週末になりますね。
どうぞ穏やかな週末を
お過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ
#美味しく頂きました
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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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