2023年もどうぞ宜しくお願いします

今年も。何卒。



2023年も無事に明けました。
はてなでブログを書かせて頂くようになって、
まもなく丸5年。




きっとこれからも
ゆるゆると続けていくのだと思います。
今年もどうぞ
宜しくお願い致します。




喪中ということもありまして
元旦から普通に仕事を開始して
ぱりんこをモリモリ食べていました。




お正月といえば
子どもの頃は
「お年玉がもらえる日」。




お正月は
母方の実家に行くのが慣例で
宴会的なものがあったわけですが、




祖父が必ず
「子どもたちは歌を歌いなさい」
と言うのです(白目)




校長先生をしていた祖父は
子どもたちの歌声など
聞き飽きるほどに
聞いていたはずですし、




当時のわたしに
ののかちゃんのような歌唱力が
あるわけもなく…




それでも
オトナにとっては
子どもの歌が酒の肴になるようで、




歌の上手い下手に関わらず
ほろ酔いのオトナたちは
とても嬉しそうにしていました(迷惑)




こんにちは、okuです。




わたしが住む家は学校が近いのですが
コロナ禍前に頻繁に聞こえていた
子どもたちの合唱の声が、




なかなか聞けなくなりました。




お年玉あげたら、
歌ってくれるでしょうか?(やめて)



「受け取る」ということ。



今でこそ
筋肉やら骨やらに興味をもって
生活していますが、




学校に通っているときは
ほぼ興味がなくて
どちらかといえば文系だと思うのですが、




かといって歴史は
高校の時のテストに
先生から「danger!(点数が悪い)」と
書かれて返ってきたわたしですので、




堂々と「文系です」とは名乗れません。しゅん。




ただ、本を読むのは好きで
好みがかたよりながらも
ずーっと読んでいたと思います。




コールセンターで働いていたときの
お昼の休憩時間には
本を読んでいるわたしの背中から
「誰も話しかけてくれるな」
というオーラが出ていたはずです(怖)




読んでいたのは小説ばかりでした。
小説ばかりを読んでいたわたしが
自己啓発本に手を出し始めたのが10年ほど前。




それまで
自己啓発本に手が伸びなかったのは、




当時 父が倒れて忙しかった
ということもありますが、




今思えば
自分と向き合うということを
まったく考えずに
生きてこられたからだと思います。




自己啓発本を手にしたあたりから
小説はまったく読まなくなりました。




ひたすらに啓発本。
買うのも啓発本。
借りるのも啓発本。
読むブログも自己啓発系。




自分ではまったく意識して
いなかったのですが
10年くらいその知識をあびまくって
生活していたと思います。




でも残念ながら
その知識が肚に落ちたのは、6年前。
旦那さんが亡くなってからです。




自分の半身だと思っていた
旦那さんを喪ったとき、




頭の中だけで
上すべりしていた知識が
重石をつけて
肚に落ちてきた気がしました。




今だから思えるのは
「失ったときはチャンス」
ということです。




失ったそのときは
とてもそう思えないですが、




物でも
パートナーでも
家族でも
健康でさえも




「失ったからこそ受け取れた」
というものが必ずあります。




失わずに受け取れるなら
それがいちばんいい。




でも
失ったからこそ受け取れることも
ある気がします。




ただ
「失ったから受け取れる」というのは、




" 自分が持っていたものが
見えていなかったから " 
失ってみてはじめて受け取れる状態になった
ということなのでしょうね(遠い目)




なにか受け取りたいものがあったら
今、在るものに超絶感謝できるか




今 在るものの中から何かを手放してみると、




受け取りやすくなるかもしれないですね。





2023年、わたしは
何を手放せるのでしょうか?(知らん)




週のなかばになりました。
今年もどうぞ
穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ




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#友だちが毎年送ってくれる初日の出



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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