振り返ってみれば

後から気づく。



去年の今頃は
大雪と寒さに震えていましたが
ここ数日は
10℃を超える暖かさの北海道です。




皆様がお住まいの地域も
暖かいのでしょうか?




春になると
花粉症の症状が出たり
新しいことをしたくなったりしますが、
(振り幅大きめ)




春でもないのに
母が「ヨガしてみる!」と
言ってきたのが
2ヶ月ほど前のこと。




「手が痛い」「足が痛い」
という母に
何度かヨガを勧めてみたものの、




「今はいいわ」と断っていた母。




その母が
「お母さん、ヨガしてみる!」
と言ってきました。




80歳を過ぎた母が
そうそう動けるわけはなく、




椅子や壁を使った
筋トレとストレッチとヨガを
ミックスしています。




こんにちは、okuです。




3〜40分ほどの運動が終わった後に
鼻を膨らませて
「あ〜今日もやったわ!」と
満足そうな母の横で、




「わたしの方が頑張った気がする」と
独りごちています。




「欲しいものの種」は必ず持ってる。



ブログやSNSなどで
「喧嘩をした」とか
「文句を言った」
というのを目にすると、




明日も生きていると思っているから
喧嘩もできて文句も言えるんだよなー」
と思います。




明日を生きたいのに
明日を生きられないかもしれない人には




文句も言えないし
喧嘩もできないですもんね。




先日、
父の一周忌が無事に終わりました。




介護が必要で
自分で思うように動けなかった父は
いつも母にいろいろと
文句を言っていましたが、




あれはあれで
コミュニケーションだったのだろうと
思います。




" しあわせ " は
いつでも目の前にあって
遠くにありません。




わたしの旦那さんが亡くなる前日の夜
病院の最上階にある
病室の窓から
ふたり並んで外を見ました。




モルヒネを使って
痛みをコントロールする旦那さんと一緒に
街灯がともる夜の景色を見ながら、




「いつか振り返ったときには
(死と隣り合わせの)この時間すらも
とてつもなく幸せだった、と思うんだろうな」
とぼんやりしていたことが
今もたまにフラッシュバックします。




旦那さんが闘病していたその当時は
わたし自身
生きているようで、生きていないような
呼吸をしているようで、していないような
まるで
崖っぷちを歩いているような毎日でしたが、




わたしにとって配偶者の死というのは
「崖から落ちたけど生きてた」
みたいな出来事でした。




生活の中に散りばめられている
どうでもいいような出来事は
きっといつか
心の中の宝物に変わります。




今一緒にいる大切な人は
この先、喪うかもしれないし
自分が先に去っていくかもしれませんが、




いつかは失われていく
人やものと生きていくことは
なんて儚くて
なんて尊いのだろうと思います。




大切な人がそばにいて
普通に生活していたわたしは
" しあわせ " は遠くにあるのだと思っていました。




でも失ってみれば
「何もない」
と思っていたわたしの人生には




「全部ある」ことがわかりました。




「ない」と思うのなら
「種を植えていないだけ」なのだと。




誰しも必ず
「欲しいものの種」は持っていて、




でも
「欲しくない花が咲いたら
どうしよう」と
種を植える前から思い悩んだり、




「ものすごくキレイな花が咲いたら
人気が出て有名になっちゃって
人が殺到しちゃうかもしれない」
ということを恐れて
種がなかったことにしてしまう人も多い気がします。




欲しくない花が咲いても
わらしべ長者のように
欲しいものと交換できるかもしれないし、




大人気の花が咲いたら
そこからの出会いで
自分自身が変わっていくかもしれません。




心から望むことは
きっと
叶うと思うのです。




「自分が望むものがわからない」と思ったら
小さな行動だけ起こしてみると、




あとになってから
「あれが種だったんだ」って
気づくのかもしれません。




それにしても
もう3月なのですね。




どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ




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#満月の日



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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