自分の中の「前提」

在るもの。



「昨日、お正月でしたよね?」




という早さで
毎日が過ぎているような気がするのですが、




この感じでいくと、
明日あたりに
盆踊りが始まるのではないでしょうか(白目)




毎日たいしたことは
していないような気がするのに、




2日間葬儀に参列しただけで
仕事の調整にアワアワしたり、




その後 数日経っても
「体がだる重〜」な感じで
アリナミンAの錠剤を
瓶ごと飲み干したいです。
(*やってはいけません)




家にアリナミンAはありませんでしたが
冷蔵庫に納豆がありましたので、




「疲労回復に納豆!」っつって、
冷蔵庫から取り出しました。




こんにちは、okuです。




納豆のパックを開け、




タレを取り出し、




「こちら側のどこからでも切れます」
というタレの袋を
「親切だなぁ」と思いながら開けて、




納豆に入れた
…と思ったら、




納豆の上の
透明フィルムの上に
タレをかけていました(初体験)




現場からは異常以上ですー。
疲労回復には寝るのがいちばん!!




自分の中に「ないもの」を願う。

 

願っているものは信じていない
信じているものは願うことはない




…と、以前に読んだ本に書いてありました。




「結婚できますように」
「ダイエットできますように」
「お金がたまりますように」




という願いは、




結婚していたら願わないし
痩せていたら願わないし
死ぬまで困らないお金があったら
願わないものです。




それは[ 在る ]が前提だから。




当然のように[ 在る ]ものに対して
「在ったらいいな」と願うことはありません。




指が動くのが当然だと思っているし
食欲があるのが当然だと思っているし
寝られるのが当然だと思っているので、




小指に小さな傷ができただけでも不便だし
胃に不調がでるとまったく楽しくないし
寝られないと
その次の日は一日だる重です。




じゃぁ
「小指というのは傷があるものだ」
という前提だったらどうでしょう。
小指に傷がなくて普通に動くだけで感動します。




「胃は不調があるもの」
という前提だったら
胃の調子がいいだけで
テンションMAXになります。




「わたしは寝られない」
という前提だったら
寝られた翌日は
普段の倍は動けそうです。笑




[ 前提 ]は変えられるものです。




「在るのが当然」という前提だと
それを失ったときのショックと衝撃が
ものすごいですが、




「在るのが当然ではない」という前提だと
在ることの喜びを感じられるかもしれません。




スマートフォンも
今はあるのが当然ですが、




昔は好きな人に電話をするのも
電話番号片手に
「ご両親が電話に出たらどうしよう」
って緊張しながら電話したものです。モジモジ。




そんな昭和な時代から
今は令和になって
お手もとのスマートフォンで
違う人が出る可能性を気にすることなく
気軽に電話ができる時代になりました。




ウチの母などは
「昭和はよかったわ」と
ことあるごとに言いますが、




色々気軽な時代になったので
「もの」「こと」に対して
執着なく軽い気持ちでいられるといいな、と思っています。




旦那さんが亡くなってから
一年おきくらいに弔事があって




そのたびに
「人は何も持っていけないんだわ」
って思うのです。




今の自分に満足していたら
特になにも「願う」必要はないのですよね。笑




あとは
在るものに感謝できる生活が
できたらいいな、と思いますが




「願うことがある生活」も
とっても素敵な気がします。




4ヶ月があっという間に過ぎましたね。
5月もどうぞ
穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ



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#新緑



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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