受け入れる覚悟。
人って多い人では
一日に6万回も思考している
って言われてるらしいですけど、
皆さんは何を
思考していらっしゃるでしょうか。
ところでわたしは
2012年に発売されたグリーンダカラを
毎日毎日
ずーーっと飲み続けています。
「歯が溶けて知覚過敏になりやすくなる」
という、ビビりなわたしを
怯えさせるに十分なネットの情報を見ても、
未だグリーンダカラを
飲み続けています。
グリーンダカラが
やめられないわたしは、
三幸製菓さんの「ぱりんこ」
というおせんべいを
毎日毎朝食べる生活もやめられなくて、
その生活は
かれこれ7〜8年続いています。
「飽きがこない」と書くと
「継続する力がある」と
よさげに表現してくださる方が多いのですが、
変化したくなくて現状を維持する
「現状維持バイアス」っつーのが
ゴリゴリにかかっている気がするのです。
で、
「わたしがこの生活を変えたい
と思う日は来るのだろうか」
というのが、
わたしが一日に行う
数万回の思考のうち
1%くらいを占めています。
たかが1%、されど1%。
毎日思考すれば
まぁまぁな量です。
こんにちは、okuです。
なんか新しいAIが
さらに進化して、
そのAIのIQがアホほど高く
なっていると聞きました。
そろそろ
わたしが思考する必要は
なくなるんじゃないかと思っていますー。
ほんとうの自分
わたしが一日に行う
数万回の思考のうち、
必ず思うのは
「死」についてです。
「どう生きるか」よりも
「死について」のほうが
圧倒的に思考回数は多いです。
今年の学びに
「ヨガ哲学」がありました。
ヨガの聖典に、
生まれた者には死は必定であり、
死んだ者には生は必定であるから。
それ故、不可避のことがらについて
あなたは嘆くべきではない。
(BG2/27)
と書かれている部分があります。
哲学の宿題を提出したとき
先生からフィードバックが
返ってきました。
メンターだった方が最近亡くなって
大切な人の死について
考えることが多かったです。
と書かれた先生のことばの先に、
その人の体が決めた
寿命通りに準備をしている
と考えると、
それを受け入れてあげないといけない気がしました。
とありました。
それを読みながら
わたしは八年以上前の
ある日のことを思い出しました。
がんが末期になっていた
旦那さんの病院の診察日。
母は緊急入院していて
要介護の父が
転んで歩けなくなって
わたしは完全に詰んでいました。
そして、診察が終わった旦那さんから
わたしが受け取ったLINEには、
「明日入院(緩和ケア病棟)
を勧められています。
あと1ヶ月もつかわからないようです」
と書かれていました。
ところでこれって
2016年のLINEなのですが
トークの履歴って
ちゃんと残ってるんですね。
今でも
そのやりとりを見ると
一瞬で当時のわたしに引き戻されて
瞳孔が揺れますが
LINEを消す気持ちになれません。
その旦那さんとのやり取りの後に
わたしが連絡を取ったのは
旦那さんの友だちでした。
すぐに友人を集める手はずを
整えてくれましたが、
旦那さんにはもう
その集まりに参加する体力は
残されていませんでした。
その後
旦那さんは亡くなるのですが、
ヨガ哲学では
「本当の自分」と
「それ以外の自分」は
別ものであるとされています。
「本当の自分」は
日本語でざっくりいえば
「たましい」のようなもので、
自分の肉体も心も
「それ以外の自分」に含まれます。
体は太ったり痩せたりしますし
心も五感や環境によって動きますが、
「本当の自分」は
変化することはありません。
「本当の自分」は
無くなることもありません。
病気になろうが
傷つけられようが
無くなりません。
「本当の自分」には
死というものがないので、
その体が寿命を迎えれば
その体を脱ぐことになります。
その人の体が決めた寿命通りに
準備をしていると考えると、
それを受け入れてあげないといけない気がしました。
「その人の『体が決めた寿命』通りに
準備をしている」
と思えたなら、
大切な人の死は
少し受け入れやすくなります。
ヨガ哲学を学んだ後
インドに行った際、現地の方に
旦那さんを看取ったことを
伝えたとき、
「お疲れ様でした」
と言われたことに
ものすごくしっくりきました。
「生まれた者に死は必定」です。
「その体でやるべきことは
終わったんだね。
もう、その体は要らないんだね」
大切な人を見送る側としては
そう思えることができたなら
ほんとうに心穏やかなのです。
大切な人と離れるときは
必ず来ます。
大切な自分自身と
離れるかもしれません。
でもきっとそれは
今の体でやるべきことを終えて、
次の体になる準備に
入るということです。
(解脱する方もいるかもしれませんが)
ちなみに
「本当の自分」と
「それ以外の自分」に
分けられる、と書きましたが
「本当の自分」は「至福」
とも表現されます。
「至福」は自分の内にあります。
生きている今この瞬間も
自分の内には至福があります。
この体を脱ぐときには
それを安心して受け入れられる
自分でありたいですし、
大切な人の死も
同じように
受け入れられる自分でありたい
と思うのです。
2024年も最後の日となりました。
2025年がこれをお読みのあなたにとって
素晴らしい年でありますように。
どうぞ年末年始も
穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ
✢𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊✢𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊✢
北海道 札幌でヨガ講師をしています。
ご予約・お問い合わせ𓂅𓇢𓇠𓆸
** ご予約・お問い合わせ **
✢𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊✢𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊𖢊✢