謙虚っぽいことが美徳だと思ってた。

他人軸。自分軸。



脳卒中の後遺症で
短期の記憶が
不得意になった父は、




わたしに向かって
「いくつになったんだっけ?」
と聞いてくることがありました。




30代の頃は年齢を答えると
「ふむふむ」
納得していた父でしたが、




40代になり
さらには50代になると
自分で質問をしておきながら
父は目を丸くして驚くようになりました。




父自身
同じだけ歳を重ねているのに
「自分の歳を棚に上げているじゃないか!(えなりかずき)
という感じでしたが、




父は晩年
割とひんぱんに
わたしに年齢を聞いてきました。




年齢を聞いて
過剰に驚くのは
父だけだと思っていたのですが、




父のDNAを引き継いだわたしは
友だちの子どもの年齢を聞いて
父と同じように
目を丸くすることが増えました。




友だちの子どもの歳を聞いて
ピサの斜塔くらい前のめりになりながら
「さんじゅう〜?!」
と裏返った声で聞き返すわたしの反応は、




まったくもって
父のソレと同じ。




同級生の友だちと会ったときに
「アレがよんじゅう年前〜?!」
と声が裏返ることも多いです。




こんにちは、okuです。




最近は
「(2023年が)
あと、いっかげつぅ?!」
と声が裏返ります。
本当に早いですね、一年(遠い目)




「勝ち」と「価値」

 

他人軸の人は
人との比較の中に「勝ち」を探す。

自分軸の人は
自分の中に「価値」を探す。

 



「自分を主張せず
他人に合わせることが美徳」と
思っていたであろう両親に育てられた
昭和生まれのわたし。




時代背景的なものも
あったと思うのですが
そんなわたしは、




「謙虚と見紛う他人軸」を身につけました。
謙虚っぽい見た目の
他人のせいにする人です。笑




「決めてくれたことに従うよー」
「なんでもいいよー」
と一見謙虚に見えるその言葉は、




自分を主張しないことで
自分で責任を取らなくていい
ということだし、




他人が決めてくれることで
自分の選択を放棄する
ということでした。




長い間、
「謙虚っぽいことが美徳」だと
信じて生きてきたような気がします。




自分の人生において
本来自分で選択しなければならない
たくさんのことを、




他人任せにして、長い間生きてきました。




自分という軸がないので
"  自分を認識するために  "
外界との比較は必須項目。




「◯◯よりいい」
「◯◯よりマシ」




意識すらしないまま
そうやって息を吸うように
自分の立ち位置を確認しようと
していたのだと思います。




そんな他人軸のわたしは
すごい人を見ると絶望するがゆえに、




(自分の凝り固まった狭い価値観の中で)
すごくないものを見つけては
「◯◯よりいい」
「◯◯よりマシ」
とグラグラな自分を
支えようとしていました。笑




自分が世の中をそうやって見てるから
世の中も自分をそうやって見てると信じていて、




「これをやったら(他人に)◯◯って思われる」
「こんなことしたら変な人だと思われる」
と思ってしまっていたのです。




「◯◯って思われる」のは
とっくに思われているし
「変な人」だということは
とっくにバレているのに
そんな自分を認めないんですよね。笑




「他人の目が気になる」
というその「他人の目」は
「自分を見張っている自分自身の目」でした。




自分軸の人は
自分に集中しているので
どうでもいいことに時間を使わないし
他人の時間を奪うことが極めて少ないですね。




自分の頭の中に
他人が出てきて
ぐるぐる同じ思考を繰り返したら
「もったいない」のサイン。




感情を中途半端にしないで
感じきったり
紙に書き出して視覚で見たり、




一旦コンビニに走って行って
好きなものを買うのもアリヽ(*^ω^*)ノ




腰が重いわたしが言うのもナンですけど
動かないと思考も体も停滞します。
(ホント、お前が言うなって感じですけど)




新しい週がはじまりました。
どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ




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#札幌 #赤レンガテラスから


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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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