自由で在るために。

自分にできること。



先日、
友だちとスーパー銭湯に行きました。




普段、
かなり引きこもっているものですから
人に会うと嬉しくなります。




そんなわたしと友だちが
お茶を飲みながら

ふははははは

と笑っていたら、




知らないおばさんが
背後からツカツカと寄ってきて
静かにせよと怒られました。




お茶を飲んでいたので
マスクもしていなかったのでね…
すみません(しんみり)




銭湯のスタッフの方も
「黙浴」とプリントされた
Tシャツを着ていて、




それからは友だちと


ふははははは

と笑うたび、




「いかん、また怒られる」
と若干怯えながら
話をしていました。




こんにちは、okuです。




安心して話ができる世の中が
早く訪れるといいですね…!!
(ぱりんこを製造する三幸製菓さんも
早く復活できますように(>人<;))



自分で自分を護る。



自分の内側の声を丁寧に聞いて
「やりたくないことを
やらない選択をする」
ことを続けていると、




「問題だ」と感じることが減ってきます。




行きたくない会合は
「行けない」と断るし
食べたくないものは
「食べない」と伝えます。




「生活のために
やりたくない仕事だって
やらなきゃならなかったりしますよね?」
という場合は、




やりたくない仕事を
やらないための方法を
とことん考えれば
必ず解決策は出てくると思いますし




それでもやっているのなら
「本人の意思でやっている」
ということになります。
(解決策は数多あるはず)




「やめられるワケがない」という方は
「やらなきゃダメ」という場所から
動けなくなってしまっている人です。




「逃げちゃダメ」とか
「投げ出しちゃダメ」という
真面目な方が多い気がするのですが、




それをして責めるのって
他人ではなくて自分ですよね。
(以前のわたしもそうでしたー)




「そんなことないですよ!
他人が文句を言います!」と思う方、
本当にそうですか?




たとえ文句を言われたとして
他人の文句のためだけに
大切な自分自身を犠牲にする必要が
どこにあるのでしょう。




わたしたちが
「問題だ」と思うことの鍵は
必ず自分の内側にあります。




「問題だ」と思うことは
自分と向き合うため
自分の " ために " 起こっていることがほとんどです。




それがわかっていると
外側で起こったできごとを
「問題」と捉えなくなります。




問題のように現れるそれは
「自分の内側にある何かに気づいて」
というお知らせです。




ひとつの出来事でも
それを問題だとみる人と
全く問題だと思わない人がいます。




「問題」だと感じるなら
それは
自分自身の捉え方の問題です。




問題は外側にはありません。




できない言い訳を手放して、




自分のことは自分で護ると覚悟を決めたら、




そこには




自由しかありません。




3月もすっかり後半ですね(とっくに)




今週も穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ




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#スターバックスも春仕様ですね


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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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