怒りで気付く「傷」があるかも。

他人を見て、知る自分。



以前、
母に「ティッシュ買ってきて」と言われたので、




ティッシュを買って帰ったら
「(必要なのは)トイレットペーパーよー!」
と言われました。




そのときは、
「トイレットペーパーって言った・言わない論争」
になりまして、




「まぁ使うからどっちでもいいか」
というところに落着しました。




先日。




「ティッシュ買わなきゃ!」




母がそういうので、
買い物に行ったときに
お店のティッシュコーナーに行きました。




こんにちは、okuです。




母が手に持ったのは、
トイレットペーパーでした。




店内で鼻を膨らませながら、
「ティッシュって言ってたけどー!」
とプンスカしていたわたしですが、




今は、ぱりんこを食べてご機嫌です。




癒しのヒントは、自分のなかに。



「嫌だな」
と感じる現象が起きたとき、




そのときすぐじゃなくても、
「嫌だ」と感じた
その感情を少し掘っていくと




自分の感情が癒えることがあります。




「ティッシュ」と言いながら
トイレットペーパーを持った母に、




鼻を膨らませて文句を言ったわたしですが、




それは、
「ティッシュとトイレットペーパーを
間違った」という出来事に、




前回
「わたしが買い間違いをした」と
母に言われた記憶
芋づる式に出てきたからです。




わたしの中にあった感情は、きっと
「信用されなかった」という
悲しさです。




人は、
できごとに感情をくっつけて
自分の中に収納するのが得意です。




講師仲間さんがブログに
「赤ちゃんが、いきなり動き出した
ルンバに驚いて、それ以来ルンバに近付かなくなった」
という話を書いていたのですが、




赤ちゃんですら
驚いたことが記憶となって残るのなら、




大人のわたしたちは、今までに
どれだけそのような出来事を背負って
どれだけ怯えて生きているのでしょう?




わたしの「ティッシュの話」も、




思春期に起きた出来事だったら、
親が間違ったにも関わらず
「親に信用されない自分」という意識
心の奥底に残ったかもしれません。





知らないうちに傷ついていることが、
きっとあります。





人の手を借りてそれを
癒していくことが必要な場合もありますし、




自分でも
「違和感を感じたときに感情を深掘りしてみる」ことが、
必要な気がするのです。




わたしたちは、
他人を通して自分を知ることができます。




答えは自分の中にあるのに、




自分の中にある答えを
自分で探すのが不得意なわたしたちは、




他人を見ることで自分を知ります。




その多くは、厄介なことに
「違和感」や「怒り」となって現れます。




他人との関わりの中で
「違和感」や「怒り」を感じたら、
それは自分を知るチャンスだと思うのです。




できごとが起きたその瞬間は
自分の感情にのまれたとしても、




あとから
「どうしてこう感じたんだろう?」
と考えると、




答えが出たり出なかったりします(え)




被害者意識で、
「あの人が悪い」と思っているうちは、
なかなか答えが出てきません。




江原啓之さんの本に、
こう書いてありました。


自分の人生にある
全ての問題のポイントは、
自分の中にあるのです

 




ヨガで出会った友だちが、
ブログに書いていました。

 

わたしの仲間は、
優しいだけの存在では決してない。
その問題は自分のなかにある、とはっきり言う。

 

 

 

わたしになにか問題が起きたとき、
ヨガ仲間にそのできごとを話すと
必ず自分とは異なる視点から
質問を投げかけてくれます。




それは、
そのできごとを
一方向からしか見られなかった自分に
気付きを与えてくれます。




答えはきっと、自分の内にあります。




違和感を感じたときに
感情は一旦置いといて(これが一番難しい)
「掘り下げるクセをつけておけるといいな」
と思っています。




新しい週がはじまりましたね。
どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ




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day trip

 


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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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