自分くらいは、 自分の絶対的な味方でいてあげたい。

自分のことは自分で守る



車の免許をとったのは
たしか34歳のときでした。




父が脳卒中で倒れたときに
「車椅子生活になるでしょう」
と病院で言われて、




リハビリに通うことが
必須になったので
慌てて免許を取りました。




ウチの母に
「絶対に運転に向かないから
やめた方がいい」と
言われ続けていたので、




「わたしは免許を取らない方が
いいのかもしれない」と
震えながら教習所で適正検査を受けたら




教習所の先生に
「あなた運転向いてるから大丈夫」
と言われました。




こんにちは、okuです。




先生のことばをお守りに
免許はすぐに取れたのですが、




免許を取って20年。




未だに
「頭(前)から入れる駐車」に慣れません。




後ろから駐車することに
困ることはないのですが、




前から停めると
確実に中心からズレて
斜めになります。




「前から停めてください」と
注意書きがあるとき以外
前から停める機会がなくて
まったく上達しません。




海外では
前から駐車する文化の方が多いようなので
これからも日本で生きていきます…




自分のことばと体で希望を叶える



わが家の前の道路は
市で植えている木でいっぱいなのですが、




秋になると
尋常じゃない量の
枯れ葉が積もります。




市の清掃も入るのですが
少し風が吹けば
大量の枯れ葉が道路のワキにたまります。




ウチの母がもっと若い時には
「近所の人もキレイにしているし
うちも掃除しなきゃ〜」と言って、




毎日毎日
枯れ葉の掃除をしていました。




「近所の人もキレイにしているから」
「枯れ葉だらけだと、人が見た時に
" この家だけ掃除してない " と思われる」




よく、そう言っていました。




それは雪の季節も同じでした。




「ご近所がキレイに除雪しているから
うちもやらなきゃ」
「ウチだけ除雪できてないと思われる」
母はそう言い続けてきました。




そんな母に育てられたわたしも
ずーっと
他人の視線を意識して
生きてきたと思います。




旦那さんが亡くなってから
何かが振り切れたわたしは、




「なんで他人のことを気にして
生きているのだろう?」と
感じるようになりました。




「わがままに」とか
「自分勝手に」というのではなく、




自分に対して
自分自身がまったく寄り添ってない
と感じたのです。




やりたくもないのに
[他人の視線を気にして]
やっていることが多かったです。




他人は
「あの人はやりたいことをやっている」
としか思わないのに。笑




ご近所に
毎日ものすごく丁寧に掃き掃除を
している方がいます。




母も以前はその方を見かけるたびに
「ウチも掃除しなきゃ」と
言っていたのですが、




今日、車の中から
掃除している近所の方を見たわたしが
「掃除してるね」と言うと、




あんなに他人の視線を気にしていた母が
「やりたいからやってるんでしょう^ ^」と
答えました。




病院に行って
質問ができなかったり
頼まれたことを
断ることができなかったり
自分の要望を
うまく伝えることができなかった母ですが、




少しずつ自分の要望を
伝えることができるように
なっている気がします。




自分は、
自分くらいは、
自分の絶対的な味方でいてあげたい。




伝えることを諦めなければ
自分のことばと
自分の体を使うことで
希望は叶っていくのだと思います。




「失敗してもいい」
「『上手に』伝えられなくてもいい」
「下手って思われてもいい」




自分のことは
自分が全力で守る




なにか行動するときには
いつも自分に
そう言い聞かせます。




実際は
世界は信じられないほどに
優しくて
暖かいんですけど、




なにか一歩踏み出したり
行動するときって
「怖い」って
思っちゃうんですよね。笑




週末ですね。
どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ


 

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#ひと息。



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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