お願いごとは軽くする。
毎日「ぱりんこ」というおせんべいを
朝ごはんがわりに食べています。
母と一緒に買い物にいくたび、
「ぱりんこ」を買っています。
いつも同じスーパーに行き、
その同じ場所・同じ棚の前で、
毎回 同じ会話を繰り返します。
こんにちは、okuです。
母はいつも
お店のおせんべいの棚を指さして、
「ほら!ぽたぽた焼き買うんでしょう?」
と言い放ちます。
その度、
「ぱりんこ!!」
と訂正するのですが、
母がひとりで買い物に行った時には、
間違うことなく「ぱりんこ」を買ってきます。
何で…?( ・᷄ㅂ・᷅ )
気軽に頼むことができますか?
他人に、気軽に頼みごとができますか?
職場でもいいですし、
友だちでもいいですし、
家族でもいいのですが、
「◯◯をやって欲しい」と
気軽に頼めるでしょうか。
気軽にできない方も多いかもしれません。
わたしもそうでしたが、
御多分に洩れず
ウチの母もそうです。
わたしは
旦那さんが亡くなってから実家に戻り、
自宅二階を陣取って暮らしています。
夏の暑い日は、
洗濯物を外で干すと
「あっ」という間に乾きます。
だからこそ、
母は洗濯をしたら
二階のベランダで干して欲しいのですが、
(わが家には乾燥機がありません)
仕事をしているわたしに向かって
気軽に
「洗濯物を干して〜」と
言える母ではありません。
「干してほしい」
「でも仕事をしているようだし」
母の中で、その葛藤があるのでしょう。
そして、ひらめきます。
「郵便物が届いていることを伝えて、
そのついでに
洗濯物を干してもらおう!」(母の心の声)
母「郵便、届いてるよー!」
股関節を手術して、
階段の登り下りが少々不自由な母が
階段の下から叫びます。
ちなみに届いた郵便物は
毎日決まった場所においてあり、
わざわざ呼ばれたことはありません。
階段を降りると、
郵便物を持った母が
必要以上に にっこり。満面。
「洗濯物(を干して欲しいん)でしょう?」
わたしがそう聞くと、
「えー!わかったー?天気がいいからー」と
わたしに託そうと目論んでいた、
洗濯物と郵便物←おまけを渡してきました。
またある日は、
洗濯機を回しながら
「いい天気だから、布団とか大きな物を洗濯しちゃったー」と、
遠まわしに
「干して欲しい」をアピールします。
一事が万事で、
母のお願いごとは遠まわしです。
遠まわしのお願いは、
「謙虚」とは別物です。
キツい言い方をすれば、
「自分のお願いを断られたときに、
自分が傷つくのを避けるための保険」です。
お願いするのは自由にできます。
そして、
断ることも自由にできます。
仕事を頼みたいときには、
相手が断る権利も
もれなくセットでついています。
友だちを誘って遊びに行きたいとき、
相手が断る権利も
もれなくセットでついています。
逆に言えば、
誰かに何かを頼まれたとき、
あなたも断っていいのです。
気軽に引き受けたあとに、
「気が乗らないので直前に断る」
みたいなことがいちばん信用を失います。
そのためには、
「がまんをしない日常」を送っていないと
自分が我慢しているのかどうかすらわかりません。
人への頼みごとを
自分の中に押し込めて
牛さんくらい咀嚼して
やっと言葉にしたときには、もう、重すぎて
「わたしのお願いを断るなんて許さないわ!」
くらいのエネルギーを放っています。
そうならないために、
自分のお願いごとを
自分が叶えてあげるのを日常にします。
コンビニに行ったら
「なにが食べたい?」と自分に聞きます。
いちばん食べたい物を
自分に買ってあげます。
自分が疲れているようだと感じたら、
なにはともあれ寝るのです。
自分の心の声を丁寧に拾って、
それを叶える日常を繰り返していたら、
「他の人も、きっと
自分を大切にしている人だ」と思えてきます。
そうしたら、
自分と同じように
大切な存在である目の前の人が、
お願いしたことを断ったとしても
「その決断を尊重しよう」
と思えるようになります。
他人を信頼できるのは、
自分を信頼しているからです。
他人を尊重できるのは、
自分を尊重しているからです。
一生付き合っていく自分に、
いちばん優しくしてあげたいですね。
週末ですね。
どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ
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