いい感じと愛と執着と。

手放すって、至難の業。



脳卒中で倒れた父が
リハビリのために通院することになり、




慌てて運転免許を取ったのは
わたしが34才の冬でした。
(以前のブログで36才とか書いてた気がする)




免許を取ったあと
旦那さんに免許証を見せながら
「次のお休みに助手席に乗ってくれる?」
とお願いしたわたしに、




旦那さんは
「その免許は公道を走っていい
という免許なんだから
(自分の休みを待たずに)乗りなさい
と言い、




お誘いを断られ
必要に迫られたわたしは
初心者マークをつけて
毎日運転するようになりました。




怯えながらも
たくさんの方に助けられ、譲られて
冬の雪道でも
なんとか運転できていました。




そう、去年までは。




こんにちは、okuです。




今年は雪がひどいんです〜(泣)




除雪も追いつかないので、
家の前で2回も車が埋まりました。




「この日のために年会費を払っていたんだわ」
そう思って電話したJAFからは、




「到着はいつになるかわかりません」のお返事。




母を巻き込み、
通りがかりのお兄さんを巻き込み、
なんとか脱出しました…




今日も、札幌は、吹雪です(遠い目)




執着しない為に日頃から失敗しておくの大事



貪愛(とんあい)
強く執着すること愛着

貪愛(ラーガ)は、過去の快楽の記憶により
また同じ快楽を得たいとする貪りの欲求です。
それは、苦しみをもたらします。

「ことばのヨーガ」赤根 彰子




「愛着」は、
仏教語では「あいじゃく」と読みます。




その意味は
愛情に執着することで
人やものに心がとらわれることです。




今、パソコンを失ったら…
今、スマートフォンがなくなったら…
今、手が動かなくなったら…
今、ぱりんこがなくなったら…
今…




いや、どんだけ執着!!




っていうくらい、
わたしの生活は執着に
まみれています(白目)




人は
「以前経験した、あのイイ感じを
もう一度経験したい」
と思う生きものです。




例えば
「前に彼に頼んだとき、
ウフッ♡って笑って頼んだら
いい感じだったから
今回もこの作戦でやってみよう」とか




「いつも優しくないあの人が
『なんか今日体調が悪いかも〜』って言ったら
優しくしてくれたから
今日もソレ使ってみよう」とか




自分の中にある
成功法則的なもの




ちょっとした " うきうき感 " を
自分に残します。




そして
もう一度その感覚を味わいたい気持ちが
執着となります。




「自分が執着を感じている」と
わかっているなら話は早いですが、




執着しているときって
「これは自分の権利ですけど(なにか?)」
くらいナチュラルに欲しているものです。




執着って、
「◯◯があって普通」という
自分の内にある欲求に向かって




「それ、ホントに要ります?」って




自分に問うことでしか
手放せないんじゃないか、っていう
気がするのです。




他人に
「◯◯は要らないんじゃない?」
って言われたとしても
自分でそう感じていなかったら




「要るわ!めっちゃ要るわ!」って
かたくなに否定しそうですもんね。笑




以前、職場の先輩に
右手の善行を左手に教えないくらいで
ちょうどいいらしいよ」
って教えてもらったんですけど
(善いことはアピールせずにやれ、ってことですね)




右手の善行を
知らんぷりできるくらいの
左手でありたい
って思います。




この世界から離れるときには
できるだけ執着を減らして、




「はーい、終了。お疲れ様ー」
くらいの軽さで
去っていきたいです。




そのためには、まず断捨離から…
(ずっと言ってる)




新しい週が始まりましたね。
どうぞ穏やかにお過ごし下さいヽ(*^ω^*)ノ




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#ゴツゴツのコンクリートの上は頭が痛い



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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