人は何歳でも変わるのだと思う。

たとえば、80歳でも。



あんなに暑かった夏が嘘のように
朝晩がめっきり寒くなりました。




暑い日が続いた夏には
大好きな「ぱりんこ」すら
食べられない日がありましたが、




今は食欲の秋。
ぱりんこを食べるための
胃の準備は完璧です。




先日「4枚増量!」と書かれたぱりんこを
テンションMAXで購入しまして、




無事にその4枚も含めて
わたしの胃の中に収まったのですが、
それ以降
増量されたぱりんこを見かけません。




世の中の人たちで
ぱりんこの争奪戦
起こっているのでは…!!(違)




こんにちは、okuです。




この食欲の秋も
きっと
あっという間に終わって、




多分またエルサが来て
雪をごっそり置いていくのでしょうね(遠い目)
ウォルトディズニーに謝って!




わたしも、まだまだ途中。



旦那さんが亡くなったあと、
わたしは実家に戻り
右半身に麻痺のある父と
心臓が強くはない母とともに暮らしています。




父が脳卒中で倒れたのは
18年ほど前。
それから
母はずっと自宅で父の介護をしています。




介護は
する方もされる方も
大変だと思いますが、




母は
「(お父さんが)好きなようにさせてあげるわ」と
デイサービスなどの介護サービスをほとんど使わないまま、ここまできました。




「他人のために生きる」というのが
普通だった昭和の時代に
人生のほとんどを生きた母は、




「これが普通」と思いながら
過ごしてきたのだと思います。




そこにはどこか
自分の人生を少し「諦めている」といった
感情があったのかもしれません。




テレビを見てケラケラと笑い、
食べ物を食べては
「美味しい〜」と明るく過ごしていた母ですが、




ケアマネージャーさんが来ると
「人生って大変」
みたいな話をして
ケアマネージャーさんを苦笑いさせていました。




そんな母に育てられたわたしも
バリバリでゴリゴリの他人軸で育ちました。




そして、
それをとして生きてきました。




昭和の他人軸も
日本人としての美しさがあります。




ただ、
度が過ぎると
環境に振り回されるだけの人になってしまう。




「自分だけがガマンすれば
丸く収まるんだわ」と
自分の感情を言語化することを放棄し続けると、




「ガマン」という心の澱が
どんどんたまっていきます。




病院に行って
歯の治療をしたとき、
噛み合わせが合っていないのに
「これでいいです」と言って、




帰ってきてから
「噛みにくい」と
グチを言う母に、




「自分の希望は
小さなことでも
ちゃんと伝える努力が必要だと思う」と
事あるごとに伝えてきました。




スーパーに行って
「これでいいや」という母に向かって




「これいい」ものじゃなくて
「これいい」と思うものを選んで!
と言うわたしに、




自分を後まわしにすることに
慣れ切った母は
「面倒くさい」とよく言います。




それでも割としつこく
「自分の希望はちゃんと伝えること」
「もしもそれを断られたとしても、
自分の希望を伝えられたことを実感してほしい」と母に伝えてきました。




「いいの。お母さんはもう歳なんだから」
そう言い続けてきた母。




それでも最近では、病院にいく前に
「◯◯の症状がある、って言ってみる」と
シュミレーションをするようになりました。





そんな母が先日、




「最近、『人生が大変だわ』って思わないの」




そう言ってきました。




自分の内側の小さな声を拾って
「伝える」ということを諦めなければ
「自分を信じられる」ようになります。




自分の小さな希望
少しずつ叶えてあげることは
本当に大切だと思うのです。




父が倒れたときには60代だった母も
80歳を過ぎました。




「時代が変わるって大変」
少し前までそんな風に言っていた母ですが、




母のことばを聞いて、
「いくつになっても
人の考え方というのは変わるんだな」と思うのです。




伝えるための練習を
わたしは
ブログでさせてもらっています。




ブログを読んでくださっている方には
感謝しかありません。
いつも本当にありがとうございます♡




週末ですね。
どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ




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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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