わかってもらえても、もらえなくても。

自分の価値とは関係ない。



昔、ピンクレディーという方たちが、たいそう人気を博していまして、




テレビにかじりついて覚えた振り付けを、
(ビデオが普及していない時代)




友だちと学校で披露して悦に入ってました。




何回か見れば、
覚えられたんですよねーヽ(*^ω^*)ノ




こんにちは、okuです。




「恋ダンス」の振り付けを、
20回見ても覚えられないのは、どーしてでしょうか( ・᷄ㅂ・᷅ )(海馬お散歩中)





自分がいちばんの味方。



あまりグチを言わない母ですが、
よく同じことを言います。




「△△さんのことだけど、普通は◯◯すべきだと思うの」






まず、わたしにとって△△さんのことはどうでもいいのですが、




他人のことで、
なぜ自分(この場合は母)が悩まなければならないのでしょうか。




\ヨガでは「自分の中の人」と「それを取り巻く自分」がいると考えます/
www.okuyoga.net





勝手に問題視して、
勝手にダメ出しをして、
勝手に悩んで時間を使っているのは、母自身です。




「問題なら、本人に伝えたら?」と言うと、




母曰く、
「いいわ。自分が我慢すればいいだけだから」









事実はニュートラルです。




問題は、
「母の頭の中で起こっているだけ」です。




「◯◯すべき」と、
頑なに握りしめているものを手放したとき、




それは問題ではなくなります。




そして、
「自分が我慢すればいい」というのは、
解決法としては最悪です。




我慢するから繰り返されるのです。延々と。






自分はいつでも、自分の味方です。




世界中が敵だと感じても、
自分が自分に寄り添って味方でいればいいのです。自分に我慢なんてさせずに。




「自分の理由で自分が正しい」
それだけでいいと思います。




「普通は〜だと思う」
「一般的に〜だから」という理由づけは一切要らないです。




「自分は◯◯だと思う」でいいのです。




続けて「だって、」っていう理由づけをしたくなるときは、




「自分が自分の味方になり切れていない」ときです。




目の前の人にわかってほしい。
自分のことを正しいと認めてほしい。
その気持ちはわかります。




でも、
まず自分でわかってあげたいです。




「そう思ったんだよね」って、
大切な人に寄り添うようにまず自分が理解してあげたい。




そうしたら、
「自分の憲法」を振りかざしてアピールする必要はなくなります。




「愛を持って伝える」ことは、
とても素晴らしいですし、必要なことだと思います。




でも、
「言わなくていいことを言わない」という表現もあるんじゃないのかな、と思うのです。




ただそのためには、
自分でちゃんと自分をわかってあげないと、




「周りの人は全然わかってくれないわ(プンスカ)」っていう怒りにつながります。




他人に認められたり同意してもらえるのは、
とても嬉しいことですが、




「褒められてもけなされても、自分の価値は変わらないな」って思えたら、




自分の外側のことって、
あまり気にならなくなるような気がします。笑




週の後半ですね。
どうぞ穏やかに過ごせますようにヽ(*^ω^*)ノ




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カモの親子。



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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