大きく変わるときは。

大変ですよね。



実家に帰ってきたのは、6年前。




今わたしが住む実家は
わたしが小学校2年生のときに
建てられたもので、
とても古い建物になりました。




で、虫も出るんです( ・᷄ㅂ・᷅ )




旦那さんと住んでいるときなら
「大変大変、むしーーー!」
と叫ぶと、




旦那さんが
ティッシュをササッと引き抜いて
虫に向かって
「見つからないところにいくんだよー」
って話しかけながら
逃してくれていたのですが、




今は虫が出ると
「ちょっとちょっと見て見て見てー」
と母に呼ばれます。




こんにちは、okuです。




実家に帰ってから
「人生半分以上生きてきて、初めて見た!」
っていう虫にお目にかかる機会があります。




まぁまぁに大きい虫を
発見した母に呼ばれると、




わたしがうちわを使って
玄関に虫を誘導しながら
「玄関のドア、あけてー!」
と母に向かって叫び、




「ハイハイハイハイ(ハイ多め)」と
スタスタとは歩けない母と協力しながら
無事に虫を外に出せたときには、




達成感すら感じます(鼻膨らんどる)




「大変」=「不幸」ではありません。



わたしが不幸になることはありません。




もっと言えば
本来不幸な人はいないですし、




不幸そうな出来事が起きたところで
わたしたちが
「不幸になる」ことはできません。




「大変そう」
「不幸そう」
そう見えることは
生きていると必ず起きると思います。




でも、
それはある一面から見ると
「大変そう」で
「不幸そう」かもしれませんが、




大変でも不幸でもない
一面が必ずあります。




例えば
古い家にしょっちゅう虫が出ることは
大変そうに感じますが、




母とわいわい言いながら
虫を逃す様子は
わたしにとって
不幸な出来事ではありませんし、




わたしが旦那さんを喪ったことは
「不幸」で「大変」な " 事象 "
ではありますが、




そのせいで
今のわたしが
「不幸」で「大変」なのかといえば、




そうではありません。




感情を表現すれば
とても悲しく
とても寂しい
ということになりますが、




「不幸」ではない。




「不幸」って何でしょう?




旦那さんが亡くなって
少しした頃
「人は不幸になれない」
ということばを肚に落とされました。




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人はそれぞれに
大切にしているものが
あると思います。




それは
「もの」かもしれないですし
「目に見えないもの」かもしれませんが、




多くの場合
「人」だと思うのです。




家族だったり
パートナーだったり
友だちだったり
親戚だったり
知り合いだったり…




そして
人に寿命がある限り




大切な「人」とは
必ず離れる日がきます。




その大切な「人」が

いるのなら、




「幸せ」ってことでよくないですか?




大切な人がいるのに
幸せだと思えないのなら、




それは
なにか心の荷物を持ちすぎているのかも
しれません。




「◯◯じゃなきゃならない」
「自分がしなきゃならない」
「自分しかする人がいない」




そう思っているものを
思い切って手放したとき、




「何に縛られていたんだろう?」
と思えると思うのです。




「大変」だと思ったら、




それはきっと、
大きく変われるときです。




……




父の新盆も終わりました。




今年も残すところ
4ヶ月と少しですね(震)




何をして楽しみましょうか。




週末を迎えますね。
どうぞ穏やかにお過ごし下さいヽ(*^ω^*)ノ



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#お供えでいただいたお福餅 #父と旦那さんにお供えした後 #スタッフが美味しく頂きました #ありがとう♡


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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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