わたしとあなたは違っていい。

そこに魅力を感じているんです。 


Instagramは、ほぼROM専(みるだけで書き込まない)になっています。


先日、いつも通り 他の方のInstagramを見ていたら、


薄暗いスタジオに写り込んでいる、知り合いの横顔を見つけました。


こんにちは、okuです。


男性のみのヨガで、その方が参加していることが意外だったのでビックリしたのですが、


ビックリといえば、


同じくROM専のfacebookで、
自分が知らぬ間にタグ付けされているのを発見して、ビックリすることがあります。


いつまでたっても慣れないSNS…(やる気なし)




事実を感情で歪ませない。


長く生きていると、
時代の移り変わりというのを感じます。



「そうかな?別に変化は感じないけど」という方は、
平和な世界に身を置いているのかもしれないですし、



「ほんと、変わってきてる」と思う方は、
何かに向かっている方なのかもしれません。



どちらがいいとか悪いとかの話ではなくて、



今の生活は、



自分が見たい世界を取りに行っているだけだと思うのです。



スタバで携帯片手に何かやっている人を見たときに、



「SNSで発信しているんだろうな」と思うのは、
自分がSNSで発信している人がほとんどだと思いますし、



「家族と連絡を取っているのかも」とか、
「Amazonで買い物しているのかも」とか、



10人いたら、10人の感じ方があります。



事実は、「スタバで携帯を持っている」というただそれだけのことなのに、



わたしたちはほぼ無意識に



いろんな感情と解釈をつけて膨らませます。



だからこそ、自分に近い人のことほど、
「自分の解釈に近いはず」
「わたし(僕)の考えていることくらい、わかるよね?」という誤解が生まれます。



誰もが違いますし、
違っていいと思うのです。



相手をちゃんと見ようと思ったら、
自分を知らなければ見えません。



「自分はこういう出来事が起きたときに、こういう解釈をするんだ」ということがわかっていないと、



「自分はこう思う。
でも、あなたは違うかもしれないね」ということを認めることができないのです。



自分がどう思うのも自由。
だからこそ、
相手がどう思うかも自由。



「同じなのが当然ではない」から、



同じだったときに喜びを感じられるのだと思うのです。




スタバでスマホを持っている人を誰かと一緒に見たとき、



「みんなSNSやってるんだね」と言って、
「そうだね」と返ってきたら、それってすごいこと。



「いや、カメラで鼻毛のチェックしてるんじゃない?」と返されたら、それはそれでいい。



「普通、鼻毛は家で確認するでしょ!」と思ったら、
その感情の下にある自分の前提を深掘りしてみたらいいかも。



新しい週が始まりましたね。



どうぞ穏やかに過ごせますようにヽ(*^ω^*)ノ



f:id:okuyoga:20200112143426j:image北海道の手水は凍ってることが多々あります。