本当にやりたいことは怖い
テレビで盲目の少年ドラマーが紹介されていました。リズム感もよくて、華麗なスティックさばき。
ゴールデンボンバーの「女々しくて」や、ピンクレディの「ペッパー警部」など、演奏できる曲もさまざまです。
インタビュアーの方が少年に選曲の基準を聞くと、「老若男女がわかる曲を選んでます」という回答でした。
「ペッパー警部」はいよいよ「老」に入ったか…としみじみしました。
こんにちは、okuです。
「自分のためにやる」がわからない
数年前まで、わたしはほぼ何も考えずに生きていました。
何となく暮らしているだけで幸せでしたし、それなりに仕事も忙しくて手一杯だったからです。
親の介護もあるので、「何かを始めるにも忙しいし、親の介護もあるし」と言っていました。言い訳という保険をかけていれば、環境のせいにして「やらずに生きていられる」状況だったのです。
だんな様が亡くなって、悲しみとの引き換えに 時間を与えられました。病院に泊まる必要もないし、ご飯だって無理に食べなくていい。
そうして与えられた時間は、以前なら「生活するために働くべき時間」だと思ったはずです。
でも、「だんな様と同じように、少し先に尽きる命があるとしたなら、このままで納得して人生を終えられるのだろうか」と言う疑問が湧いてきました。
やりたいことが最初からあったわけではありませんし、今でもやりたいことをやっているのかどうかは、正直 わかりません。信じてやり続けた先に、答えがあるような気がします。
自分を受け容れる
抱えているものが多いために、自分の気持ちにフタをして やりたいことがわからなくなっている方は多いのではないかと思います。
それはモノゴトを「善し悪し」で決めてきた後遺症のような気がしています。
「好き嫌い」「やりたいやりたくない」ではくて、世の中の常識(的なもの)や親の価値観に照らし合わせて長く生きてきたために、自分の気持ちを金庫に閉じ込めて鎖でグルグルに巻いて、深海に沈めてしまってる感じ。
まずは、「海から引き上げてみようかな」というところから始めてみる。藻でドロドロかもしれないし、海藻で絡まっているかもしれない。
やってみるのは怖いけど、やりたいことは金庫の中でピカピカに輝きながら、引き上げられるのを待っていると思うのです。
休みは必要
「昨日より1ミリ進む」というのが、わたしの目標です。1ミリですから、他の人にはわかりません。わかってあげられるのは自分自身。褒めてあげるのも自分自身です。
ですが、疲れすぎるとそれを他人に求めたくなります。「頑張ってることをわかってよ」「褒めてよ」と思ってしまう。
そんなときは休むようにしています。あたりまえのようですが、しっかり寝る・しっかり休むことは、わたしにとってとても大切なことです。
春ですから、自然の中に身を委ねるのもいいですね。エネルギーをたくさん吸収できそうです。
冬タイヤから夏タイヤに交換したので、車椅子を積んで 父と出掛けました。
天気がよくて、連なる山々がとても美しく見えました。自然のパワー、しっかりといただいて元気に過ごしたいと思います :)
「金庫を引き上げるか…」 神威岬