こだわることは何かを生む力がある。けど。

他人に向けるものではありません。

 

スターバックスに行くと、いつも温かいものを注文します。


暑い時期に、「フラペチーノ」っていうのを飲んでいる人を見ては、
「なんだか、美味しそう」と思っていました。


先日、スタバに行ったとき。


フラペチーノを注文した方が、
「これに入れてください」って、水筒を差し出しました。


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スタバのドリンクを、
自分が持ち込んだ容器に入れてもらえることを、ご存知ですか?


わたしは全然知らなかったんですけど、


注文を受け、フラペチーノを水筒に入れようとした店員さん、


水筒の口が小さすぎて、
スプーンでひと匙ずつ入れてるんですけど、



「それ、こぼれてる方が多いよね?」っていうくらいこぼれてて。



そしてそのこぼれまくった水筒に、
勢いよくホイップを入れて それは仕上がったんですけど、


ベタベタになった水筒を拭く店員さんを見ながら、


「注文の制限っつーのも必要なんじゃないか」と、
思ったり思わなかったりしました(自分が作ってないからどっちでもいい)

 

 

 

こだわりを「押し付け」にしないようにする。

 

誰かの「こだわり」は、
世界を優しく、そして便利にしてくれます。


歯ブラシだって、
誰かのこだわりと優しさあっての「この形」だと思うのです。


ただその「こだわり」が、
ねばならない」になると、生きにくくなります。


「歯ブラシは、ビト◯ーンじゃなきゃだめだ!なんでG◯Mなんか使ってるんだ!」とか言われたら、「えー(・᷄ㅂ・᷅)」ってなります。





自分が」こだわるのはいいんです。
でも「他人に押し付ける」と厄介ごとになります。例え、家族であっても。





また、勧められるまま買って、


「やっぱりG◯Mの方がよかったじゃないの。ぷんぷん」って、他人のせいにするのは他人軸的な考え方です。




「わたしには合わなかった…しょんぼり。
でも、自分で選んだし。洗面台の掃除に使おう」って、



自分の行動の責任を自分で取れたら、
「他人のせい」という考えはなくなるはずです。



自分の行動の結果すべてに覚悟を持てたら、
何を選択するのも自由。



介入してくる人が言うからそうするのではなくて、




「自分で決めて、やる」




わたしが毎日ぱりんこを食べることも、
毎日グリーンダカラばっかり飲んでいることも、


間違いなく自分自身で選んできたことです。やれやれ(´Д` )(村上春樹 風)


今の状況は、
「行動を起こしたこと、起こさなかったことの両方」を、
自分で選んできた結果です。




わたしたちの選択の自由は、
無限大の可能性に満ちています♡





新しい週が始まりましたねヽ(*^ω^*)ノ


わたしにとっては、少し気合いが必要な9月。
季節的には、とても快適な時期ですね。


今週も穏やかに過ごせますように。



f:id:okuyoga:20190908115850j:image空と海の境い目が曖昧な時間が好きです。




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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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