最期はどこで迎えたいでしょう?

台風の被害が最小限でありますように。


どうか皆さんが安全なところにいられますように。


𓂅𓇢𓇠𓆸

 

きっと、人それぞれ。

 

掃除をするとき、
お仏壇の香炉が倒れると大変なので、
低いところに移動させるのですが、


その香炉の灰の中に、


マッチが落下しましたー。


こんにちは、お久しぶりのokuです。


体操だったら「10点!」みたいな着地だったんですけど、


香炉灰が飛び散って、


くしゃみが止まらないのをなんとかしたいです。ハックション!(呼んだでごじゃるか)



f:id:okuyoga:20191012154511j:imageいつかやると思っていましたヽ(*^ω^*)ノ←




自分の最期を考える。

 

同じ市内に住む、ひとり暮らしの叔父は、ずっと体調を崩していました。


母の弟であるその叔父は、大の病院嫌い


どんなに説得しても、病院に行くことを拒否し続けました。




自分の最期は、どこで迎えたいでしょうか。




最期を迎えるのが、
自宅ではなく 病院が多くなったのは、


1976年あたりからだそうです。


わたしも「最期は病院でしょ」って、
思っていましたし、
今もそうなんですけど、


世の中では、
自宅と病院が「おおよそ半々」みたいで。




もちろん、どちらが正しいわけでも、


間違っているわけでもありません。



叔父は「病院には行きたくない」というのが希望でしたから、


意識を失うまで自宅に居られたということでは、
希望通りだったはずです。


積極的治療もせず、
最後には点滴も止めて、
いい感じに枯れていきました。



表現は微妙ですが、
「徐々に枯れていく」というのは、


とても大切なことだと思っています。


叔父は腹水も胸水も相当たまっていましたから、
「なぜこんなになるまで自宅に…」
という声もありました。



すべてを自分で選び、
自分で責任を取るならば、
自分が好きな結果を得られるのが、今の時代。


「正しい」も「正しくない」も、
人の数だけあります。


「正しくない」ではなく、
自分と違う考え方」があるだけ。



近道でもいいし、遠回りだっていい。
早くても、遅くても、タイミングも人それぞれ
です。



「自分と他人の違いを楽しめるような人で在りたい」と、


しみじみ思っています。



ここ三年の間に、喪主(旦那)と施主(叔父)をやったのですが、
わたしのときもどうするか、ちゃんと考えておかなきゃ…



大型の台風がきていますが、どうぞ安全に穏やかに過ごせることを、
わたしも祈っています。



f:id:okuyoga:20191012154343j:image葬儀の翌日は日帰りで東京へ講習に。羽田空港のマッサージチェアで、ホッとひと息。写真ボケすぎ(ᵔᗜᵔ*)



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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