模索に模索を重ねた結果。

ずいぶんラクになった気がします。

 

友だちとスーパーのボディソープ売り場を歩いていたとき、


「コレを使ってるんだよね」と指差したボトルを見て、


ああ、前に一度お試し品を使ったことがあるなーと思って、


物知り顔で言いました。


「あー。イデコね


こんにちは、okuです。


友だちの指の先には、
青いボトルに入ったデオコ」がありました。


「職業病?」と笑っていたその友だちも、元証券会社勤務。


ちなみにイデコ(iDeCo)とは、
「個人型確定拠出年金」の愛称です。


カタカナ ムズカシイネ!(遠い目)



f:id:okuyoga:20200202174439j:imageデオコだから!




 

必死だったのかもしれません。


生活するなかで、
「嫌だな」と思うことがなくなりました。



嫌なことをしないようにしている、ということでもありますし、



「嫌だ」と思う現象は、
自分の中にある「なにか」に気付くために起きているだけだと思っているので、



何かが起きたときには、
「今 わたしは何に反応したんだろう?」ということを、



自分の中に掘り起こすだけだからです。





わたしは、もともとこういう考え方をする人ではなくて、



外的な理由で自分が不機嫌になれば、それに対して不満を言っていましたし、



自分が今の生活をしているのは、



自分が選んだのではなく、成り行き」ぐらいな感覚だったと思うのです。



それなりに仕事をして、
なんとなく家事をこなし、
旦那さんと過ごしていたわたしの生活は、



旦那さんを喪うことで一変し、



「これからどうやって生きればいいのか」をひたすらに模索した結果、



「すべては自分で選べる」ということ、
そして、
「外的な要因で人の幸不幸は左右されない」ということが肚に落ちたわたしは、



「自分の人生の責任を自分でとる」ということと、
「自分の人生は自由に選べる」ということが同義であることを、



やっと理解したのです。



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そして「悩む」ということがなくなりました。



悩まなくなったというよりは、
悩めなくなったのです。



考えることは、
「どうすればいいかな」ということだけですし、



必要なら行動するし、



足がすくんで動けていないときは、
動けていない自分を認めるだけだし、



「いずれ動くだろう」と自分を信じているし、



「動かなくてもいいや」と自分を許しています。



どれを選んでもいい。



すべては自分の責任であり、
どれを選ぶことも、
結果を受け入れることも、



自分がすればいいことです。



断捨離が進まない自分も、
旦那さんの荷物整理ができない自分も、
「やらなきゃやらなきゃ」と思いながらやっていないグータラな自分も、



「人間らしい」と思いながら、まるっと受け入れます。



立派な人じゃなくていい。
自分自身でありたいです。



新しい週が始まりましたね。
穏やかに過ごせますようにヽ(*^ω^*)ノ



f:id:okuyoga:20200202174817j:image相変わらずのイングリッシュブレックファーストティーラテ+ホイップ+キャラメルソース。友だちはベンティサイズ頼んでました( ◉◞౪◟◉)


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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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