ずいぶんラクになった気がします。
友だちとスーパーのボディソープ売り場を歩いていたとき、
「コレを使ってるんだよね」と指差したボトルを見て、
ああ、前に一度お試し品を使ったことがあるなーと思って、
物知り顔で言いました。
「あー。イデコね」
こんにちは、okuです。
友だちの指の先には、
青いボトルに入った「デオコ」がありました。
「職業病?」と笑っていたその友だちも、元証券会社勤務。
ちなみにイデコ(iDeCo)とは、
「個人型確定拠出年金」の愛称です。
カタカナ ムズカシイネ!(遠い目)
デオコだから!
必死だったのかもしれません。
生活するなかで、
「嫌だな」と思うことがなくなりました。
嫌なことをしないようにしている、ということでもありますし、
「嫌だ」と思う現象は、
自分の中にある「なにか」に気付くために起きているだけだと思っているので、
何かが起きたときには、
「今 わたしは何に反応したんだろう?」ということを、
自分の中に掘り起こすだけだからです。
わたしは、もともとこういう考え方をする人ではなくて、
外的な理由で自分が不機嫌になれば、それに対して不満を言っていましたし、
自分が今の生活をしているのは、
「自分が選んだのではなく、成り行き」ぐらいな感覚だったと思うのです。
それなりに仕事をして、
なんとなく家事をこなし、
旦那さんと過ごしていたわたしの生活は、
旦那さんを喪うことで一変し、
「これからどうやって生きればいいのか」をひたすらに模索した結果、
「すべては自分で選べる」ということ、
そして、
「外的な要因で人の幸不幸は左右されない」ということが肚に落ちたわたしは、
「自分の人生の責任を自分でとる」ということと、
「自分の人生は自由に選べる」ということが同義であることを、
やっと理解したのです。
そして「悩む」ということがなくなりました。
悩まなくなったというよりは、
悩めなくなったのです。
考えることは、
「どうすればいいかな」ということだけですし、
必要なら行動するし、
足がすくんで動けていないときは、
動けていない自分を認めるだけだし、
「いずれ動くだろう」と自分を信じているし、
「動かなくてもいいや」と自分を許しています。
どれを選んでもいい。
すべては自分の責任であり、
どれを選ぶことも、
結果を受け入れることも、
自分がすればいいことです。
断捨離が進まない自分も、
旦那さんの荷物整理ができない自分も、
「やらなきゃやらなきゃ」と思いながらやっていないグータラな自分も、
「人間らしい」と思いながら、まるっと受け入れます。
立派な人じゃなくていい。
自分自身でありたいです。
新しい週が始まりましたね。
穏やかに過ごせますようにヽ(*^ω^*)ノ
相変わらずのイングリッシュブレックファーストティーラテ+ホイップ+キャラメルソース。友だちはベンティサイズ頼んでました( ◉◞౪◟◉)
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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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