自分の人生のどんな一瞬も。
わたしは四年ほど前から
実家に戻ったのですが、
慣れ親しんだ実家の周りをウロウロすると、
「ここでは◯◯があったなー」とか
「ここではあんなことが…」とか
どうでもいいことを思い出すことがよくあります。
こんにちは、okuです。
ほんの1キロくらいのスーパーまでの間に、
300メートル間隔で
「ここで痴漢に追いかけられたんだったわ」とか
「ここは初恋の男の子の家だったはず」とか
「ここは色白だった◯◯ちゃんの家」とか
40年以上も前のことは
とてもよく思い出すことができますが、
昨日の晩御飯は
相変わらず思い出せません(朝はぱりんこ)
自分の意識次第。
笑っていますか?
「笑うってすごいなぁ」って最近思うのです。
「自分で自分を笑わせる」
って難易度高いですよね。
基本的に
このわたしを笑わせてくれるのは
自分以外の人です。
それは
テレビ番組かもしれないし、
本かもしれないし、
友達かもしれませんが、
何にしても、
可笑しくなって笑うためには
他力が必要なんですよね。
ちなみに作り笑いについては、
女性は男性の作り笑いを見抜くことが可能で
男性は女性の笑顔に騙されるという説が。笑
わたしは旦那さんと暮らしている時は
毎日何かで笑っていた気がしますが、
めっきり笑う機会が減りました(しゅん)
その時間はもう、
取り返せるものではありません。
そのかわり、
これから失う恐怖もありません。
そうなのです。
失う恐怖がないのです(力説)
江原啓之さんの著書に
失うことの恐れを克服できたとき
はじめて
人は孤独から解放される
と書いてありました。
「失ったらわたしがわたしでいられなくなる」
そう思っていた人を喪うと、
尋常ではない孤独感を味わいますが、
落ち着いて自分を顧みれば、
わたしはたくさんの人に支えられていて
今使っているこのパソコンだって、
誰かが作ってくれて
誰かが運んでくれて
誰かが売ってくれたからこそ手元にあるわけで、
しかもブログを書くことで
読んでくれるあなたがいてくれて、
「ひとつも孤独じゃないし、
本当の意味での孤独には
今の時代
なれないんじゃないか」と思うのです。
旦那さんを喪うことで
「自分が自分ではいられなくなる」と
思っていたわたしですが、
旦那さんが亡くなってすぐ
「人は不幸になれない」という言葉が
どこからか降ってきて肚落ちしているおかげで
体調が悪くても
機嫌が悪くても
うまくいかないことがあっても、
「それでも幸せなんだよね」
としか思えなくなりました。
「つまらない」と感じることも
「悔しい」と感じるその気持ちも
喧嘩するその時間も、
失ってから振り返ると、
二度と手に入らない
美しい時間だったことがわかります。
「快」も「不快」も、
幸せの成分のひとつです。
その瞬間はそう思えなくても、
一日の終わりに
座って目を閉じたそのとき、
「もしかしたら不快な気持ちすらも、
自分の人生を振り返れば
幸せだったと思える時間なのかも」
それを理解することができたら、
人生が生きやすくなるのかもしれません。
以前のわたしは、
そんな風には
まったく思えなかったですけど。笑
人生の荷物を持ち過ぎていると
何気ない穏やかな幸せを感じる感覚が
にぶってしまうような気がします。
今は、
何気ない一瞬に
胸が締め付けられるほどの幸せを感じることがあります。
週末ですね。
どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ
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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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