「ある」は見えにくい

他人と関わると「見える」



ひとり暮らしの従姉妹が
家の建て替えのために
引越し準備をしています。




うちと同じように
数十年住み続けた家の荷物は
親の荷物も含めて膨大な量のようで、




「そろそろ自分の写真に
手をつけようと思って…」
と話すその顔には、
片付ける前から疲れが滲んでいました。




旅行好きな従姉妹の写真は
整理はされているものの
段ボールにいっぱいで




「景色だけの写真は全部捨てる!」と
話すその姿には
決意と覚悟が感じられました。




こんにちは、okuです。




「この写真は何のときだっけ〜?」
と従姉妹とわたしが一緒に写った写真が
LINEに届くと、




わたしの手も止まって
写真に見入ってしまいます〜。笑




タイミングは絶妙に。



すべての出来事は
あなたに起こるのではなく
あなたのために起こる

 

あなたの身に起こるすべてのことは
あなたの喜び、成長、あるいは
その両方のために起こる

 

すべてのことは
最終的には自分が
よりかしこく、やさしく、
経験豊かな人間になるのを助けてくれる

 

いつでも、欲しいものが手に入るとは
限らないが
しかし、必要なものはいつでも手に入る

 

望んでいる安心と安全は
自分の中にある
何が起ころうと、あなたはそれに対処できる力がある

 



「もっと脳にいいことだけをやりなさい!
確実に自分を変えていく法」
という本を読んだときのメモです。




茂木健一郎さんの訳というところに
惹かれて読んだのだと思います。




2013年あたりは
このような自己啓発系の本を
ものすごく読んでいました。




ものすごく読んではいましたが、
「いいこと書いてる気がするー」
という感じで読了していたのだと思います。




上にある内容を
「そうは言っても…」と
半ばツッコミを入れながら
読んでいた気がします。




今となっては
当然のように感じるのですが、




「何かが足りない」と思いながら
生きていたわたしには




「何かが足りないのに」さらに
嫌なことが起こっていると思っていたし、




ものごとは成長や喜びのために起こる
っていう割に
「希望しないできごとが起こる」と思っていたし、




必要なものがいつでも手に入るなら
「手に入ってみさらせや」(言葉づかい)
と思っていました。笑




これを読んだ頃のわたしと
今のわたしが圧倒的に違うのは、




「 前提 」です。




・自分が持っているもの
・自分が手にしているもの
・自分ができることに
まったく目が向いていませんでした。




わたしは
外を見ることも
外の音を聞くことも
外からのものを味わうことも
息をするようにできるのに




自分の内側を見たり
自分の内側の声を聞いたり
自分の内側の感情を味わうことを
1ミリもしていなかったのです。




というよりも
それが必要だとも思っていなかったし
なんなら
「出来てるんじゃない?」と
思っていたのだと思います。




きっと、




「 与えられすぎていた 」のです。




在るものがありすぎて
必要なものは手に持っているのに
「ないなぁ」って
探していたのです。灯台下暗し。笑




きっと
人それぞれに気づくタイミング
というものがあって、




他人からいくらそれを
指摘されたところで
気づかないんですよね。




「 自分で 」気づくことで
行動が変わるのだと思います。




人それぞれに
絶妙なタイミングというものが
あるのだと感じます。




「ない」が前提だと
「ある」に気づくのは
難しいものですね(遠い目)




もう週末ですね。
どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ




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#ツタヤがなくなってもスタバはなくならないでくださいー



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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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