心も「反応」する。

感情は、反応。



家で仕事をしていると
気づけば一日中
仕事になってしまうことがあります。




基本的にやりたいことを
やっているのですが、
やりたいことを
何でもやろうとすると




食事中もスマートフォンを片手に
仕事をすることになったりします。




その様子を見かねた母が
わたしに向かって言います。
「目を使いすぎだと思うよー」




「ふむふむ。確かにそうだわ」
と思っているわたしに
母はさらに続けます。




こんにちは、okuです。




「車で一時間くらいのところに
美味しいジェラード屋さんができたって!
行ってみない?」




以前
「免許を取るのは危ないから
やめたほうがいい」
と強めに言ってきた母は、




最近
車の助手席に
強引に乗り込むのが得意技です。




反応なので「いい」「悪い」はありません



会社勤めをしていた頃
朝の情報番組で
" 今日の占い " というのを見て、




「ごめんなさい、
12位はさそり座のあなたです」
なんて言われると




その日はなんだか
どんよりするので
占いは見ないようにしていました。




わたしの外側で起こる出来事
とくに
悲しいできごとや
つらいできごとは、




わたしの感情に
多大な影響を及ぼす
思っていたのです。




今では、
いろいろなことを経験したからなのか
年の功とよばれるものなのか
はたまた
心臓に毛がはえたのか、




喜んだり
悲しんだりすることは
「ただの反応」
なのだとわかってきました。




熱いものを触ったときに
あわてて手を離すように、
あるいは
危険を感じた時に
サッと逃げるように




何かが起きたときに感じる
その感情というのは
ただの
「反応」だと感じるようになりました。




その反応は
瞬時に「不快」や「快適」などの
感情をともなって
自分の心を動かします。




そんな
外側の出来事に反応して
感情が動いた時には、




「あれ、わたしは今
どうして感情が動いたんだろう」
と少し考えます。




反応した原因を考えるクセがつくと
自分が反応する「ポイント」みたいなものが
わかるので、




むやみにイライラしたりすることが
なくなってきます。




熱いものを触ったときに
水で冷やすように




嫌なことがあって
瞬間的に心が反応したら、
まず
自分を愛でて心を手当てします。




何に反応したのかわからないのに
イラっとしていたり
悲しいときには




ただただ自分を慈しむことに専念します。




そうは言っても
家族とか近しいところでの
人間関係で反応したときには




「この人のせいでー!」
って思いやすいので




「何に反応したのかしら?」なんて
のんきに考えることは
難しいかもしれないですね。




ただ、
その家族とも永遠に一緒にいると思えば
腹が立つかもしれませんが




一緒にいられる日々が
限定されていると思うと




「ジェラード食べに連れて行ってあげよう」
と思うかもしれないですよね(わが家)




新しい週が始まりましたね。
どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ




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#夕日をみました #助手席に乗り込んだ母と一緒に


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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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