「ねばならない」の呪縛。
旦那さんが亡くなってから実家に戻って、
おかず担当が わたしになりました。
ある日、外出する前に慌てておかずを作ったわたしは、
母に頼みました。
「悪いけど、もう出掛けなきゃならないから、
味見しておいて!」
こんにちは、okuです。
それに対して母は、
「大丈夫、大丈夫!」
と返事はしますが、一切味見をしません(して)
わたしもそうですが、
「人が作ってくれたご飯、多少 味が薄くても濃くてもどうてもいい」っていう、
人が作ってくれたご飯あるある…(ない?)
武装するより脱ぎ捨てる
旦那さんが亡くなってから、
わたしの部屋にある仏壇に、生花が置かれるようになりました。
「仏壇にお花をお供えすると、あちらの世界でお花畑ができる」
と聞いたので、
お花を取り替えるたび、
「あちらでもお花が咲いたかな?」
と、ちょっと嬉しい気持ちになります。
今がちょうど旬のラナンキュラス。
画像はお借りしました。あぁキレイ♡
大好きなのですが、
この画像の中にもある 硬く閉じた切り花のつぼみを
どーにもこーにも咲かせることができません。
先日、お花屋さんで そのラナンキュラスを買ったとき、
お店の女性に
「ラナンキュラスのつぼみを咲かせるコツは、ありますか?」と聞いたところ、
「ラナン…?」って聞き返されて、
「あ、この花なんですけど」と言うと、
「えっと、ちょっと待ってください」と言われて、誰かに聞きに行こうとしたので、
レジに人が並び始めたのもあって、
「あ、いいんです(汗)」
と、撤退してきたのですが、
違うお花屋さんのお兄さんに、同じ質問をしたところ、
「咲かせやすい花なんですけど、完全に閉じてるつぼみは難しいかもしれないですね。首を確認した方がいいですよ。触ってみて、首がしっかりしているのは大丈夫。少しフワッと開いているつぼみなら、咲きますよ。少し短めに切った方がいいかもしれないですね。栄養剤も効くかも。それから…(延々)」
って、
「シャンプーのことを聞いたときのお姉さん」みたいに、
一生懸命答えてくれました。
↓シャンプーのことを聞いたときのお姉さんの話
最初の店員さんに聞いて わからなかったとき、
少し「モヤっ」っていう気持ちになったのですが、
「なぜわたしは、モヤっとしたのか」を考えてみると、
「店員さんなら、なんでも知ってるはずだ」
と、勝手に期待値を上げ過ぎていたせいだと思うのです。
「店員さんなら、わかっているべき」
と勝手に思いこんでいた、自分のせいでもあります。
期待値が高いところからスタートすると、
減点法にしかなりません。
自分に対しても同じです。
「スキルは高くあるべき」と思っていると、
ハリボテでもなんでもいいからと武装しまくって、
本来の自分らしさが隠れてしまいます。
「◯◯であるべき」を少し手放してみると、
あなたの内側にある素晴らしさが、表に出やすくなるかもしれないですね。
そして あなたの素晴らしさは、案外周りの方の方がわかっているかもしれません。
週末がお休みの方も、お仕事の方も、病院にいる方も、
穏やかに過ごせますように:)
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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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