「自分の基準」で選ぶ。
午前のヨガレッスンのときは、
ご飯を食べるとお腹が重たいので、
ぱりんこを食べてレッスンに向かいます。
そのため朝から、
「ぱりんこ食べなきゃ」とか、
「顔に化粧水塗らなきゃ」とか、
少し忙しいんですね。笑
こんにちは、okuです。
「なんだか顔がジャリジャリするなー」と思ったら、
ぱりんこのかけらでした〜。
手は拭いたんですけど。。
(食べるか化粧するかどっちかにしてー)
我慢しても相手に都合がいいとは限らない。
かれこれ40年も昔の話なのですが、
お友だちの家に行って、
その家のお母さんに靴を捨てられたことがあります。
公園で遊んで、汚れていたのでしょうかね…
未だに覚えているということは、
小学生のわたしにとっても衝撃の出来事だったのだと思うのですが、
「捨てていいと思って」と言った、
お友だちのお母さんの言葉は今も覚えています。
それでも、
わたしもお友だちも仲が良かったので、
その後も特に関係性が変わることなく遊んでいました。
今となってはわかりませんが、
お母さんなりに、理由があったのだと思うのです。
「小さな不満」
「少しの我慢」
それらは、
日々澱のようにわたしたちの心に溜まっていきます。
自分を優先して、
自分の気持ちに寄り添って生きていたら、
玄関に子供の靴があったとしても、
「それを棄てよう」という思考にはならないと思うのです。
毎日積み重なる小さな不満。
自分だけがしているような気がする小さな我慢。
それが、自分というコップから溢れたとき、
全く関係ないことが引き金になって爆発することがあります。
大切なのは、
「自分の心」と「自分の行動」が離れていないことです。
「これくらい誰でもやっているし」
「空気を読んで自分がやろう」
「疲れているけど誰もやってくれないし」
そんな我慢がどんどん自分を傷つけます。
つらいときは、
誰かを頼ってもいいし、
空気を読まなくていいし、
自分にムチ打つ必要はありません。
「嫌だな」と感じたら、
「本当はどうしたいんだろう」って、
自分と向き合うときです。
「我慢してやった」と思うのなら、
「我慢させてごめんね」って自分に謝るときです。
もしくは、
「やってくれてありがとう」って自分に感謝を伝えるときです。
それをせずに自分と向き合うのを避けていると、
「わたし(俺)が我慢してやったのに」って、
「〜のに」が増えていきます。
自分の思考の偏りで、
誰かを傷つけることが少なければいいな、と思いますし、
そのために、
「ヨガと瞑想をしよう」って思っています。
別にヨガである必要も、瞑想である必要もないのですが、
自分がご機嫌になるものを
日々見つけておくといいですよね。
わたしは、
逃げ恥の「恋ダンス」を踊るとご機嫌になります(え?)
週末ですね。
どうぞ穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ
トンネルで7分待つのは「行きたいところへ行くための時間」なので、我慢とは違うものです。笑
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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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10月の残席が少なくなってきましたm(_ _)m
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