なるようになる。

「自分で選んだように」なる。



北海道札幌に住んでいるわたしですが、
最近まわりの方から届くLINEには




総じて
「雪がひどいですね」
ということばがついています。




数十年前。
わたしが小さかった頃の
北海道に降る雪は




「パウダースノー」と呼ばれる
それはそれはサラサラな雪で、




手袋を履いた手で
雪玉を作ろうとしても




固まることなく
手袋からこぼれおちるような
雪がほとんどだったのです。




こんにちは、okuです。




ここ最近の雪、




ベッタベタなんです〜( ・᷄ㅂ・᷅ )




雪かきしても、
スコップから雪がとれないって
どーゆーことなのでしょう?




疲れ切ったので、
ぱりんこを山盛り食べました←




結局、前に進んでいくのだと思う。



わたしが小さい頃は
「あなたが体調がいい日はいつですか?」
っていうくらい、




毎日
「頭が痛い」
「お腹が痛い」と言っている子どもでした。




体調が落ち着いてきたのは
高校生になった頃だと思います。




そんな高校2年生のときに
旦那さんと出会いました。




その旦那さんとの
お付き合いがはじまったのは、20才の頃。




体調は落ち着きましたが、




わたしはいつも
人の顔色を伺っているような
いつもヘラヘラしているような
人だった気がします。




「人の顔色を伺う」というそれは、




親に刷り込まれたものかもしれないし
自分が生きてきた中で
身につけたものかもしれないし
その両方なのかもしれません。




40代になって
旦那さんからはじめて
「他人軸」
「自分軸」
ということばを聞いたとき、




わたしは、
「え?"他人軸が普通"でしょう?」
と言いました。




今となっては、
「そもそも"普通"ってなんなのか」
とも思うのです。




わたしの父は
車椅子に乗ります。




わたしの中で
車椅子は生活の中に"普通"にあるものですが、




違う人にとっては
病院やスーパーの
入り口にあるものでしかないかもしれません。




"普通"ってなんでしょう?




他人の顔色を伺ったり
他人に合わせて生きることが
「別に苦しくない」のなら、




それを"普通"として
生きていくのもいいと思います。




わたしは旦那さんを喪ってから、
「やりたくないことをするほどには
人生は長くない」と思うようになりました。




さほどやりたくない仕事をしても
家に帰ってから
「あー疲れた。今日はねぇ…」と
どうでもいい話を聞いてくれた旦那さんは




もう、居なくなりました。




「自分が愚痴を言わなくて済むような生活を
自分で生きていかなければならない」
そう思いました。




いきなりそう思うようになったわけではありません。




ただ、旦那さんを喪って
ずっと泣いているような
生活を続けるわたしを見て、




旦那さんが喜ぶとは思えませんでした。




旦那さんを喪った穴を埋めるように
本を読んでたくさんの方の考えに触れて
ヨガをするうちに、




「弱い」と思っていたわたしの体も
「軸などない」と思っていたわたしの心も
少しずつ変わっていきました。




人は、
いっぺんには変わらないかもしれません。




それでも
「旦那さんはずっと横にいて
一緒に人生を歩んでくれる」と
ただ信じていたあの頃に比べると、




「少し強くなったかもしれない」




と感じるのです。




このあとまた数年経って
今の自分を振り返ったとき、




「前に進んでる」と思えたら
それはそれでいいですし、




停滞しているような気がしても、
天に召されていても、




「それはそれでいいな」って
今は思うのです。




新しい週になりましたね。
今週も穏やかにお過ごし下さいヽ(*^ω^*)ノ




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#初詣の日の空


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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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