わたしがブログを続ける理由。

わたしが救われたから。



◯◯ジプシーということばを
以前はよく聞きました。




化粧品ジプシー
美容室ジプシー…




ただ、
今はジプシーは差別用語ということで
" ロマ " に置き換わっています。



ja.wikipedia.org


近年の日本においては、「ジプシー」は差別用語放送禁止用語と見做され、「ロマ」と言い換えられる傾向にある[7]

 

 

こんにちは、okuです。




今のわたしは
" おせんべいロマ " です。




わたしのような
" おせんべいロマ " が多いとみえて




狙いをつけたおせんべいは
すぐに売り切れるのが
最近の悩みです〜( ・᷄ㅂ・᷅ )
っていうか、この使い方で合ってるのでしょうか。




必要な方がいるかもしれないから。



「わたしがいいと思うものを
他人に勧めてもあまり意味がないと思う」




そんな風に思って
" 言わずに諦める " ということを
随分長くやっていたように思います。




「わたしが言わなくても
誰かが勧めると思う」
「わたしがやらなくても
誰かがやると思う」




「わたしなんかが
言っても誰にも届かないと思う」




…と、長い間 思っていた気がします。




わたしがブログを書くようになったのは
以前働いていた会社の
同僚に勧められたからです。




勧められた、というよりは
「強要された」に近かったと思うのですが、




ブログを書こうとしてわかったのは
" インプット " と " アウトプット " は
「天と地ほど違う」
ということでした。




「こんなことを書いたら恥ずかしい」
「こんなことを書いたら何て思われるだろう」




最初のうちは、
そのような
「誰も気にしていないこと」と
「自分のマインド」とのせめぎ合い。笑




ことばにして出そうとすればするほど
自分に対する " 無価値観 " と
向かい合うことになります。




発信したらしたで
「誰も読まないわ」
「むしろ誰も読まなくていい」
「いや、でも、ちょっと読んで」
みたいな
情緒不安定な自分と向き合うことになります。




そんなことを数年やっているうちに
旦那さんが病気になり
どうでもいいことを書いていたブログは
「闘病ブログ」
になりました。




そんな折、
「ご主人を亡くした妻が書いたブログ」を
読んでいたうちの旦那さんが、




「自分が死んでも
悲しいだけのブログは書かないでほしい」
そう言ってきました。




旦那さんが亡くなった後
泣くことしかできなかったわたしが
「泣いてばかりのわたしを
彼は望んでいない」と思えたのは、




旦那さんの
「悲しいだけのブログは書かないで」と言った
そのことばのお陰だったのかもしれません。




心のよりどころがなくなったわたしは
旦那さんが亡くなった当時、
ひたすらに何かを " 読んで " いました。
本だったり、ブログだったり、色々です。




その中で
ちょっと不思議な男の子の話が
偶然 目に留まりました。




ちょうど旦那さんが亡くなった後
書かれたそのブログには
「宇宙と地球と天国」の話が書かれていました。

三角で繋がっている | 一生無事





見えないもののことは
わたしには全然わかりません。




上にリンクを貼ったブログも
話をしている男の子は
当時まだ幼稚園とかそれくらいの年齢で、




男の子のお母さんも当初は
「うちの子、何言ってるのかな」
くらいな感じだったと思うのです。




でも、
" 何言っているのかわからないけど "
それを発信してくれたことで




わたしはものすごく救われたのです。






「こんなことを書いて届くのかしら」
「こんなことを書いていいのかしら」




今でもそんなことを思いながら
書くときがあります。




でも、もしかすると
そんなわたしのことばでも
誰かに届くことがあるかもしれない。




そう思って、
ブログをゆるゆると続けています。




そして、続けられているのは
読んでいただいている
あなたのお陰なのです。
本当にありがとうございます。




新しい週が始まりましたね。
どうぞ
穏やかにお過ごしくださいヽ(*^ω^*)ノ




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#oku散歩 #母と


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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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