依存からの脱却。

自由への一歩。


先日、情報番組の「ノンストップ」を観る機会がありました。

三倉佳奈さんが、
「夫の実家に行ったとき、お義母さんが夫のために巨峰の皮を剥いてあげていた」と驚いたように話をしていまして、

帰省中に、姑が夫のために 巨峰の皮を剥いて出すことについて、
「アリ」か「ナシ」かの討論になっていたのですが、皆さんはいかがでしょうか?

わたしは家族には皮を剥いて出す派なので、「アリ」なのですが。
これについて、周りの方に聞いたこともありますが、わたしの周りでは「剥く派」が多かったです。

こんにちは、okuです。

えーと、どっちでもいいですね。笑

 

f:id:okuyoga:20180815185739j:imageこれは剥きません(〃艸〃)ムフッ

 

葡萄といえば…

葡萄といえば、その昔。

札幌農学校の教頭先生で、「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク博士は、お酒で問題を起こす生徒を律するために、

自分がアメリカから持ち込んだ一年分の葡萄酒を 生徒の前で割って、
「諸君も酒に飲まれるな」的なことを言って、諭したそうです。

恵まれた環境に身を置くわたしたちは、
たくさんのモノ・コトに対して、意図せずに依存しがちです。

コーヒーやお酒、たばこ、甘いもの、携帯電話、パソコン、ぱりんこ(あ、わたしだけですか、そうですか)…

親、配偶者、子ども、友人、恋人などの人間関係にも、依存はあります。

ヨガの講習中に、
「好きなものをひとつやめなさい」という宿題が出たとき、
わたしはコーヒーを選びました。
今なら、ぱりんこを選びますけどね。ええ。

そして、コーヒーの代用品として「穀物コーヒー」を選びました。

結果、ほとんどコーヒーを飲まなくなりました。
コーヒーへの依存から逃れ、ひとつ 自由になりました。


必要に迫られて手放すのは自由を受け取るため

先日、友達が肺がんの手術をしました。
超初期で偶然発見されたため、抗がん剤の必要もなく 退院後は外来での経過観察で大丈夫だそうです。

お酒とタバコが好きだったその友達は、
入院を機に両方をやめました。

「なければならない」

そう思っていたものは、「無くてもなんとかなる」ものになりました。

依存や執着から離れると、人は自由になります。

わたしもまだまだ執着から離れられないものがたくさんあります。

たまに意図的に携帯電話を忘れてみたり、
車がない生活をしてみるのも、

わたしには必要なのでしょうね。。。
「でしょうね」と言ってる時点でダメですけど(汗)


f:id:okuyoga:20180815185635j:image「アリ?」「ナシ?」

 

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北海道 札幌でヨガ講師をしています。

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