自由への一歩。
先日、情報番組の「ノンストップ」を観る機会がありました。
三倉佳奈さんが、
「夫の実家に行ったとき、お義母さんが夫のために巨峰の皮を剥いてあげていた」と驚いたように話をしていまして、
帰省中に、姑が夫のために 巨峰の皮を剥いて出すことについて、
「アリ」か「ナシ」かの討論になっていたのですが、皆さんはいかがでしょうか?
わたしは家族には皮を剥いて出す派なので、「アリ」なのですが。
これについて、周りの方に聞いたこともありますが、わたしの周りでは「剥く派」が多かったです。
こんにちは、okuです。
えーと、どっちでもいいですね。笑
これは剥きません(〃艸〃)ムフッ
葡萄といえば…
葡萄といえば、その昔。
札幌農学校の教頭先生で、「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク博士は、お酒で問題を起こす生徒を律するために、
自分がアメリカから持ち込んだ一年分の葡萄酒を 生徒の前で割って、
「諸君も酒に飲まれるな」的なことを言って、諭したそうです。
恵まれた環境に身を置くわたしたちは、
たくさんのモノ・コトに対して、意図せずに依存しがちです。
コーヒーやお酒、たばこ、甘いもの、携帯電話、パソコン、ぱりんこ(あ、わたしだけですか、そうですか)…
親、配偶者、子ども、友人、恋人などの人間関係にも、依存はあります。
ヨガの講習中に、
「好きなものをひとつやめなさい」という宿題が出たとき、
わたしはコーヒーを選びました。
今なら、ぱりんこを選びますけどね。ええ。
そして、コーヒーの代用品として「穀物コーヒー」を選びました。
結果、ほとんどコーヒーを飲まなくなりました。
コーヒーへの依存から逃れ、ひとつ 自由になりました。
必要に迫られて手放すのは自由を受け取るため
先日、友達が肺がんの手術をしました。
超初期で偶然発見されたため、抗がん剤の必要もなく 退院後は外来での経過観察で大丈夫だそうです。
お酒とタバコが好きだったその友達は、
入院を機に両方をやめました。
「なければならない」
そう思っていたものは、「無くてもなんとかなる」ものになりました。
依存や執着から離れると、人は自由になります。
わたしもまだまだ執着から離れられないものがたくさんあります。
たまに意図的に携帯電話を忘れてみたり、
車がない生活をしてみるのも、
わたしには必要なのでしょうね。。。
「でしょうね」と言ってる時点でダメですけど(汗)
「アリ?」「ナシ?」
**************
北海道 札幌でヨガ講師をしています。
☆こちらからもご予約できます→** レッスン予約 **
**************