自分の物差し、他人の物差し

形は違っても 同じ「測るもの」

 

今年は遅いと思ってたんですけど…


来たみたいです。


雪の女王、




エルサ。 (は?)


また降らせちゃいましたよ、雪。


腰痛いから、「重たい雪はやめてくれ」ってエルサに言ってるんですけど。
エルサったら聞く耳持たずっていうか、
なんだか スイッチ入っちゃうと、自制とかきかないみたいで。


すっごい重たい湿った雪を降らせちゃいました。
久しぶりに雪かきっつーのをやったものですから、
腰が痛いです。


もう帰ってくれないかな、エルサ。

ウォルトディズニーに謝れー。

 

 

ひとりひとり、違う物差しを持っています

 

「言葉に本音が感じられない」


と、言われたことがあります。


「嫌いな人が居ないとか、あり得ない。マジメか」とも。


でも、


「嫌いな人が居ない」という人はいます。
「怒りのスイッチが見当たらない人」または、
「怒りのスイッチを探すのに時間がかかる人」も必ずいます。


わたしが怒らないのは、


そこにエネルギーを取られることが鬼面倒だったり、
他人よりも自分が悪いのかも、と思ってしまったり、
怒るポイントがわからなかったり、
そもそも何かを期待していないから「そんなもんだろう」と思ってしまうからです。


それを伝えると、


「それって自分のことしか考えてない、ってことだよね?」
と言われたりもしますが、


「自分がどう生きるか」を考えて生きていたら


もしくは、


他人のことを自分の思い通りにしようとしなければ


あまり怒りの感情がわいてくることは、ないと思うのです。


ものごとを正しいとか正しくないとかで考えると、
他人の行動について いちいち答え合わせをしなきゃなりません。


「私は(俺は)間違ってない」って言って、
周りの人に、
「私の(俺の)言うこと、合ってるよね?」
って確認しなきゃならない。


でも、そう思ったときに、
「本当にそうかな?」
って考えて、


「あの人の言うことは、あの人にとっては正しいのかもしれない」


と思えたら、
その人は「怒る対象」になるでしょうか。


自分の物差しが 絶対に正しいわけではなくて、


他の人には、他の人の物差しがあることを認めると、


頭とココロが少し柔らかくなるかもしれないですね:)


今週も穏やかに過ごせますように。


わたしの咳喘息も治りますようにー。
ゴホゴホッ。プシュッ(吸引の薬)


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犬は寝ていても起きていてもいい(笑)
インド・リシケシの犬は、ホントによく寝てるし、起きていても吠えません(驚)日本の道端でこの光景を見たら「大変!」って思いそう。後ろに見えているのは、ガンジス川です。

 

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北海道 札幌でヨガ講師をしています。
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